アカデミー賞=リベラルではない

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さて、たしか今でている週刊サイゾーで、めずらしく副島隆彦がでてますけど(佐藤優との対談)、副島氏といえば、副島氏の書いたアメリカ政治の本を、なんどもこのサイトで引用しているので、筆者を副島氏のファンなのか?とお思いの方もいらっしゃるとおもいます。

副島氏に対して筆者は、本に書いてあるデーター的な部分は大変勉強になり、ちゃんと国内の知識人たちがアメリカ政治の右と左を間違えていることを指摘したりと、鋭い部分もおおくて、そういう意味ではリスペクトしてますが、副島氏自身は著書のなかで「自分はリバタリアン市場原理主義)の保守主義者だ」と公言しており、リベラル派の思想を著書で徹底的にこき下ろしているので、副島氏が著書で展開している論旨についてはまったく同意していません。
(ちなみに、国内の知識人たちがアメリカ政治の右と左を間違えていることについて指摘したのは副島隆彦の著書が最初ではなく、法学博士の佐々木毅による『アメリカの保守とリベラル (講談社学術文庫)』序盤が先です)

そういうことで筆者は、副島氏については「リスペクトしつつも、論旨には同意しない」という微妙なスタンスなのですね。
朝日新聞社は、90年代以降、ニューアカデミズムの影響をうけたあたりから、左翼を自称しながら、実態は明らかにリバタリアニズムのスタンスをとっているので、このへんがチグハグでホントに腹が立ちますねえ(そのうえで、ブッシュ政権のスタンスを、根本的に間違えたまま、ブッシュ政権を批判したりとめちゃくちゃじゃないかとおもいます)。

朝日新聞社も、副島氏のように、正直に「われわれは保守主義者です」と、目立つように公言していれば、筆者は別段問題にしないのですよ。問題は、本来リバタリアニズムのスタンスの記事をおおく書いていながら、なぜか左翼を「自称」していることが問題なのです。

副島氏の本としては、この日記では、『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社)を、おおく引用しています。これは副島氏の著書のなかでも代表的なものなのですが、映画の評論の本も書いていますので、これらの本も映像作品を批評するうえで参考になりますね。

副島氏の映画評論本『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(下)』は、アメリカ映画の保守とリベラルの関係について考える際に、大変興味深い内容です。
まず、巻頭にクリント・イーストウッドが監督と主演をした『許されざる者』(1992)についてかかれていますが、これについての副島氏の分析は、おそらくほかの映画評論家がまったく書いていないことでしょう(p16~)。

ハリウッドにはリベラル派の人間が結集しており、ハリウッドの映画人たちは、基本的にリベラル派であり、スピルバーグもリベラルであり、それゆえに有名なハリウッドスターは、たまに恵まれない人たちにむけて寄付をやったりするのです。

そういうハリウッドの体質のなかで、クリント・イーストウッドは、実はめずらしい「リバタリアン」のスタンスの人間であり、俳優として出演した作品はともかく、自ら監督した作品のいくつかは、そういうリバタリアンとしてのクリント・イーストウッドの思想が色濃く反映されたものがあります。

許されざる者』というのは、そういう作品のなかのひとつで、内容は、アメリカ政治のリベラル派の政治家を西部開拓時代の保安官にたとえて批判し、その保安官をリバタリアンの賞金稼ぎのガンマンが倒すというものです。この作品では、賞金稼ぎのガンマンが主人公で、こういう部分に、アメリカの保守主義である個人主義、すなわち「自分自身か、自分と親しい人の得になること以外はやらない」という思想があらわれているといえます。

こういう作品を、副島氏以外の日本の批評家が評論すると「普通の勧善懲悪の活劇よりひねりが効いているから、こっちがリベラルだ」などとトンチンカンな批評をやりそうですが、実はこの映画こそがアメリカの保守主義である個人主義を反映したものなのです。

あげくに、この『許されざる者』は、アメリカ本国でアカデミー賞の作品賞を受賞してしまいました。この事実からわかるように、実は、アメリカのアカデミー賞の審査をする側の人間たちは、保守派がリベラル派と同程度の力をもっているようで、こういうリバタリアン保守主義の作品が賞を取ったりすることもあるのです。

日本の批評家のおおくは、こういうことを知らないでしょう。なので、「アカデミー賞をとった作品は、すべてリベラルである」とか「保守主義の作品が映画賞なんてとれるわけがない」と思い込んでいて、おおくの国内の批評家はアカデミー賞の受賞を絶対的な価値としてみているといえます。

*補足:ちなみに『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(下)』で、ハリウッドにはリベラル派が結集しているという記述があるのはp33。スピルバーグがリベラルであることについて書いてある部分はp43~の『インディショーンズ 魔宮の伝説』やp46~『シンドラーのリスト』についての記述がわかりやすい。

そういうことからいっても、もう国内の映画批評家たちは、そろそろ「映画賞をとったからいい映画」とか、そういう批評をやるのはやめましょう。映画賞だって相対的なものであるという観点に立つのが本来の多元主義ではないでしょうか。
かつて1950年代にイギリスでポスト・モダニズムポップアートを確立させた若手の芸術家の集団インデペンデント・グループは「よい芸術といった絶対的価値はない。あくまである社会条件、あるパラダイムにおける相対的な価値でしかない。」という主張をしたのですが(雑誌『デザインの現場』(美術出版社)1999年8月号の、海野弘の連載『モダン・デザイン史再訪』の39回(138ページ))、これは映画賞というものに対する考え方にも当てはまるのではないかと思います。

で、今回添付してある画像ですが、まえの日記で、ブラジルでジャスピオンが人気ということを書きました(2008/8/13『ジャスピオンがブラジルで大人気』)。

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このことが書いてある雑誌「週刊footballista(フットボリスタ)」2007/01/10発売号 (011) を入手しましたので、その雑誌の画像です。
画像は、そのジャスピオンについて触れられている記事のページ全体(日系ブラジル人の選手ロドリコ・タバタのインタビュー)と、ジャスピオンについて触れている部分の拡大した画像です。

*補足:社会主義は失敗したから日本のマスコミが市場原理主義に傾倒するのはしょうがないじゃないか、とお思いの方は、以下の文章をおよみ下さい。
『現実的な社会変革』(本ブログの過去の日記。)

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