【重要】「個人の自由の行き過ぎ」が犯罪の原因になる

久しぶりの更新です。

実在した連続殺人鬼を描いた
映画『テッド・バンディ』の監督
ジョー・バリンジャーの
現代ビジネスのインタビューの記事
『連続殺人鬼に「アメリカの白人男性」が多い理由 
話題作『テッド・バンディ』監督が語る』(2019.12,20)
によると、
アメリカ人は、個人の自由が社会よりも優先されるべきだと信じている人が多いため、
個人の自由に抑制が効かなくなり、社会的意識よりも優先されて殺人が増える、
というコメントをしています。

以下、記事本文からの抜粋です。
「バリンジャー監督:基本的にアメリカ人は、個人の自由が社会よりも優先されるべきだと信じているんです。そういった社会では個人の自由に抑制が効かなくなり、社会的意識よりも優先され、自由を暴力や犯罪のために利用しようとする輩がでてくるんですよ。テッド・バンディがよい例です。」
(該当箇所は下記のアドレスから読めます)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69316?page=4

 

このことは、長年、私がHP『ワンダバステーション』で訴えていたことですね。
やっと、アメリカの著名人から
「個人の自由の行き過ぎ」という殺人事件の動機の分析が出ました。
そして、それが、日本の大手マスコミの記事になったことも重要です。

日本で90年代から、少年犯罪が増えた理由もこれでしょう。
やはり、90年代あたりから、
日本で少年犯罪が増えた理由は、
日本の大手マスコミでニューアカデミズムのブームが起こり、
極端な個人主義を唱える
フランス現代思想構造主義)やニーチェの思想が
大手マスコミでブームになり、それが一般大衆の、
子どもでも知っている常識というところまで
浸透したことによって、衝動的な殺人事件が
若年層にまで起こったというのが原因としか思えません。

参照:『ワンダバステーション』内、
ニーチェと少年犯罪についての一考察』
http://wandaba.html.xdomain.jp/niitye.html

 

また、近年日本で起こっている、
大人による、理由の不可解な通り魔的な殺人事件の原因も、
この極端な個人主義の浸透によるものと思います。

 

(下記 2020/1/2 加筆)

バリンジャー監督のインタビューの中に出てくる、
アメリカの高い犯罪率は銃規制問題が一番の原因だと思います。銃の所持を認める合衆国憲法修正第2条は“個人の自由”だと信じている人が多いから。」
という言葉は、何を意味するというかということも
述べておきます。

アメリカの合衆国憲法の修正第2条は、
「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」
というものなのですが、

これを「アメリカ国民一人ひとりが、銃を所持する権利である」と解釈するのが、
アメリカの保守の立場で、
この解釈に則って、アメリカの保守派は銃規制に反対します。

この合衆国憲法の修正第2条を、
州兵の設立のみを意味しているとの解釈で
国民一人ひとりが銃を所持することに反対し、
銃を規制するべきと主張するのがリベラル派ということになります。

合衆国憲法の修正第2条を
「国民一人ひとりが、銃を所持する権利」と解釈するのは、
銃のような危険なものでも、
個人の自由(直接的には自衛する自由)のためには規制するべきではないという
リバタリアニズムに通じる極端な個人主義のスタンスを示すものである故、
先のバリンジャー監督の、合衆国憲法修正第2条を“個人の自由”とする解釈への批判は、
この法解釈に、リバタリアニズム的な極端な個人主義が根底にあることを指摘する発言といえます。

*テッドバンディは、犯罪者を主人公にしながら、犯罪を否定している映画なのです。
このことに関連した過去の日記です。

wandaba2019.hatenablog.com

(2021.11.3 追記)

個人の自由が社会よりも優先されるべき、という価値観は、
資本主義系の保守主義リバタリアニズムとその最も過激なバージョンである
シュティルナー主義に通じ、シュティルナー主義は、
フランスで1913年にボノ団という強盗団を生むきっかけになりました。
(『アナキズム2 運動編』97ページより)


個人の自由が社会よりも優先されるべき、となると
「力と力の抗争」という「世の中強いものが勝つだけ」
という価値観を肯定することになり、
優勝劣敗の資本主義の全面肯定、格差社会の肯定へと通じます。

* * *

本日記は、HP『ワンダバステーション』の『日記帳』に相当するものです。

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