「仁義なき戦い」はヤクザ社会を否定した映画(および仮面ライダー龍騎の問題点)

町山智浩が「俳優 菅原文太さんと任侠否定映画」を解説
TBSラジオ「たまむすび」~おもしろい大人~ 2014年12月2日放送分「アメリカ流れ者」)
http://youtu.be/SL0o_XAyt2I

この動画で町山智浩氏は、
仁義なき戦い」シリーズは実はヤクザ社会を否定した映画だという批評をしており、
従来の(というより90年代より現在の)、
ヤクザ社会を美化しているという「仁義なき戦い」シリーズの評価は間違いだ、
ということを指摘しています。

自分も実は、「仁義なき戦い」シリーズは飯干晃一の原作ということからも、
そういう評価こそ本来の評価ではないか、と思っていたのですが、
やはりそうであることが映画評論家から指摘があったのは
大変意義のあることであるとおもいます。

http://www.kazubooks.com/?pid=75706524
↑このサイトでの
仁義なき戦い 死闘編 ―広島やくざ・流血20年の記録―』の
原作の紹介文でも「やくざ社会を内部から告発した真実の書」とあります
(小説のカバーに書かれていることっぽいです)

しかし、今、映像業界、大手マスコミ業界で力をもっている人たちが
仁義なき戦い」シリーズを、やくざ社会を内部から告発した作品として
うけとめておらず、やくざ社会を美化したものであると誤解したうえで
ニーチェの「善悪はない」という思想と「仁義なき戦い」シリーズを結び付けて
こういった「力と力の抗争(悪と悪との抗争)」をカッコイイものとしてとらえているのは
大変問題があるとおもいます

すくなくとも、90年代のポストモダニズムがはやったあたりから
仁義なき戦い」シリーズは、ヤクザ社会を美化した作品であると誤解されつづけて
2014年まで、そういった誤解について反省的な意見が映画評論家からでてこなかったといえます。なんと20年以上、誤解が続いているのです。
そして、こういった誤解に基づいて、そういった実録ヤクザもののオマージュ的な作品として作られた「仮面ライダー龍騎」のような類いの作品は、仁義なき戦いシリーズそのものより、かなりタチが悪い作品ということになります。

こういった誤解が横行したということは、
ピカレスクものというのは、大人でも誤解する場合があるという実例となりました。


このことは、これからピカレスクものの物語というものについて考えるときに、
大変重要になってくるとおもいます。

「力と力の抗争(悪と悪との抗争)」を美化してしまうということは、
資本主義系の保守主義リバタリアニズムとその最も過激なバージョンである
シュティルナー主義を肯定することになり、

「力と力の抗争」という「世の中強いものが勝つだけ」という価値観を肯定することは、
優勝劣敗の資本主義の全面肯定、格差社会の肯定へと通じます。
(より直接的には、シュティルナー主義は、
フランスで1913年にボノ団という強盗団を生むきっかけになりました。
アナキズム2 運動編』97ページより)

このことは、これから映像作品つくる上で、注意しなくてはいけないこととおもいます。

あとは、90年代以降、日本では批評家が、こういったピカレスクものを
「犯罪を肯定している作品」と分析して高く評価しやすい傾向があり、
こういう批評家の分析や評価も問題があると思います。

(後日追記:2021.10.3)
ニーチェの思想はポストモダン哲学のもとになりましたが、ナチズムのもとにもなり、実際ポストモダン哲学の学者ハイデカーはナチスに協力していました。

相模原障害者施設殺傷事件の犯人の植松聖も、ニ-チェの思想にかなり近い思想を持っていました。参考の神奈川新聞の記事です。
『やまゆり園 事件考 被告はいま(3) ニーチェに共感 憧れた超人(2020年1月4日)』

www.kanaloco.jp

仮面ライダー龍騎仮面ライダーナイトは「好きな人だけ守る」という理由で行動していますが、「大切な人(だけ)守る」という考え方は「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。」というメンタリストDaiGoの発言と同じと思えます。これは基本的人権(すべての人の生きる権利)の否定に通じ大変危険です。
今、行われているSDGsにも「誰一人取り残さない社会」という目標があり(これもイマジンに通じるものですね)、こういう時代性に反していると思うのですが。

↓このことに関連した文章です。
『愛こそすべての愛とは - wandaba2019のブログ』

wandaba2019.hatenablog.com

 

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また、東映ヒーロー番組でかつて描かれていた、
敵側の内紛劇というのは、こういうピカレスクものとは、
まったく逆のものであるということも、意識しなくてはいけないことです。

あくまで、主役はヒーロー側であり、敵側の内紛劇というのは、
敵側の内紛劇によって悪が自滅することを是としているお話で、
主役はあくまでヒーロー側ですから、
敵側の内紛劇をピカレスクものとして解釈する切通理作などの評論家の解釈は、
あまりに無理があります。

(ああいう話を切通理作があんな解釈するのはあまりにアクロバティックすぎます。
そんなふうに解釈した人は当時は誰もいなかったとおもいます。
無理矢理、90年代以降のピカレスクものをもてはやす流行に
合致させようと曲解したようにしかみえませんでした)

 

(後日追記:2021.10.3)
ニーチェの思想やシュティルナー主義は個人主義の行き過ぎに通じますが、
個人の自由の行き過ぎが犯罪の原因になる、ということについて触れた日記です。

wandaba2019.hatenablog.com



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アメリカでも3分の1は内向型と
『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』(6ページ)と
『内向型を強みにする』(12ページ)で指摘されてます。

上記の2冊の本では、内向型の人というのは、脳の働きが外向型の人と違い、
無理に外交的にふるまうのは事実上無理であるということが、
科学的なデータをもとに書かれています
(『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』148~150、204~208ページ、
『内向型を強みにする』62ページ~)。

日本では、ながらく内向型の性格は一種の病気であるという認識が定着してますが、
これは誤解です。

このことについて触れた過去の日記です。未読の方はどうぞ。
「生きづらさの原因は内向型人間への差別では」

wandaba2019.hatenablog.com


「内向型人間への差別は自殺増加の原因では」

wandaba2019.hatenablog.com


非モテ問題も内向型人間への差別が原因」

wandaba2019.hatenablog.com