高度管理社会との闘争

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

(以上の3点は、田名網敬一の作品)
田名網敬一という画家(といっていいのかわかりませんが)をご存知でしょうか。現在は京都造形芸術大学の教授をされていますが、60年代から70年代初頭にかけて活躍した人です(おっと、今も活躍中ですね)。

田名網敬一の描くところの金魚の絵とか、金魚の絵だけでなく他の絵画にもみられる、けばけばしい色遣いや複雑な書き込みとかはサイケと評され、田名網氏はそういうサイケデリックアートの代表といわれます。筆者はウルトラマンAの超獣のサイケさは、こういう田名網氏の作品に通じるものがあるとおもいます(井口昭彦による超獣はまだ色彩的に地味だが、そのあとの鈴木儀雄によるものは、色彩が派手な点やぐにゃぐにゃしたデザインラインを強調する点がサイケである)。

ウルトラマンA自体が70年代の初頭の作品だし、けっこう超獣のデザインとかは、こういう田名網氏に代表される当時のグラフィックアートの影響をうけているんではないでしょうか(金魚はオブジェの作品もある)。意識していなくても、偶然だとするならば、それはそれですごいとおもいます。

田名網氏の作品集『spiral』(青幻社)には、以下のような言葉があります。
「田名網作品を指してよくいわれるサイケデリックとの言葉。だがサイケが重要な意味を持つのは、社会権力が推進する単一の現実以外にも様々な世界観が存在し、しかもそれが人間内部の状況によって左右されうる、ということを示した点においてであり、LSDを中心とした薬物はあくまでそのきっかけを拓いたに過ぎない。(120ぺージ)」
この言葉は大変興味深いです。このサイトで何度も取り上げていますが、イギリスのインデペンデント・グループが唱えた「芸術作品の価値は社会条件によってきまり、絶対的な価値はない」という考えと、上記の文章における「サイケ」の定義には接点があるようにおもえます。

そうなると、マスメディアに登場する批評家がとなえる名作と評される作品は、あくまでマスコミという社会権力が推進する単一の価値観によって名作ということにされている作品ということになります。そして、それに異論をとなえることは、社会権力が推進する価値観以外の価値観を世間に知らしめるという意味で、それ自体でサイケな行為ということがいえまいか。この際、薬物を実際に服用しているかは問題ではありません。社会権力が唱える単一の価値観と異なる価値観を唱えることがサイケに通じるのです。

オタクというのは、基本的にマスコミで名作と評されていない芸術を好む人たちですが、それはマスコミという社会権力の提唱する価値観への反逆という意味で十分サイケな行為といえましょう。現在はマスコミは拝金主義という単一の価値観を唱えていますが、こういう価値観へ異論をとなえるのもサイケということです(そもそもヒッピーがそうだったし)。

いわば、メディアに登場する有名人は、高度管理社会の管理者といえるわけで、ウルトラの関係者のなかでも市川森一実相寺昭雄らは、高度管理社会の「管理者」ということになりますが、そういう実相寺氏にたたかれる超獣のデザインを擁護するのはそれ自体が高度管理社会への抵抗といえるのではないでしょうか。

*追記 2008.1/28
第二期ウルトラの怪獣(超獣)についてこちらにまとめました。
(以前アップしたものを大幅に加筆しました)
『第二期ウルトラ怪獣デザイン論』
http://www.geocities.jp/wandaba_station/page6.html

あと、この日記でおこなった市川森一についての批判の記事です。

『黙示録と予定説』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/50092270.html

キリスト教原理主義者へのあくなき抵抗』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/49614501.html

キリスト教原理主義者の電波ジャック』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/49409445.html

『『ガタカ』雑感(『大日本人』についてもふれてます)』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/49232568.html

『「放送倫理検証委員会」って?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/48437851.html