これがテーマ主義の原点か

前回の日記『大人が学ぶべき「寓話」』(2008/9/20)で、岩波文庫イソップ寓話集』(中務哲郎/訳)のことについてふれました。
*未読の方はどうぞ。前回の日記『大人が学ぶべき「寓話」』(2008/9/20)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/56680780.html

この岩波文庫版『イソップ寓話集』について、さらにいろいろと論考していきます。この岩波文庫イソップ寓話集』(中務哲郎/訳)の巻末の解説によると、宗教改革者のルターは民衆教化の手段としてイソップ寓話を高く評価して、いくつかの寓話を自らドイツ語に訳していたそうです(364ページ)。

ルター派プロテスタントというのは、予定説を否定するプロテスタントであり、予定説を唱えるキリスト教原理主義カルヴァン派(資本主義に通じる)と対極にあるプロテスタントです。そのルターが寓話による民衆教化を考えていたというのは重要です。この、ルターがイソップ寓話に注目していたいう話は、あるいみテーマ主義の原点といえるのではないでしょうか。

デンマークは、福祉国家として一応の成功をおさめている国の代表として、このサイトで何度も取り上げてきました。このデンマークの雇用政策についてふれた『論座』(朝日新聞社)2008年5月号『コペンハーゲン・コンセンサス』286ページによると、デンマークは歴史的にはルター派の教徒が多いそうです。
「コミュニティーのことを考え、何事も控えめに徹し、現代における社会民主主義(=福祉国家)的な政策を支えるデンマーク人の態度を育んでいるのはルター派教徒がおおいため」なのだそうです。このように、ルター派はリベラルな福祉国家と深い関係があるのです。

この『イソップ寓話集』を読んで驚くのは、じつは『ウサギとカメ』の話は、日本昔話ではなくて、イソップ寓話だったという事実です(p174に『亀と兎』として収録)。『ウサギとカメ』は、努力は才能にまさる(こともある)というような教訓の話として有名です。

『ウサギとカメ』が日本昔話だと勘違いしている人たちは、こういう「努力は才能にまさる場合もある」という価値観を日本人固有の価値観と勘違いしているようにおもいます。日本国内の文化人たちは、そういう勘違いをしている人たちがおおいため、それゆえに「努力は才能にまさる場合もある」という考え方を「日本人固有の価値観」と誤解して否定し、「努力家は天才にかなわない」というような価値観を唱え始めたのではないかとおもいます。

こういう考え方は、やはり90年代以降の日本の文化人たちがよくいうことであり、それゆえに、90年代にいわゆる「スポコン」の漫画が批判されたのではないかとおもいます(第2期ウルトラのスポコン的なドラマが批判されたのも、あきらかにこういう文脈によるものでしょう)。

今の日本の企業が、人材育成をおこたって、なぜか最初から出来上がっている人間ばかりもとめるというのも、こういう「努力家は天才にかなわない」という価値観にとらわれており、それゆえに「他の企業との競争に勝ち抜くためには、最初から出来上がっている天才型の人間を採用しなくてないけない」と、こぞって天才型の人間をもとめて、人材育成を怠り始めたということがあるようにおもいます。

もちろん、人材育成には、当人の努力だけでなく、手厚い先輩からのサポートやアドバイスが必要です。そういう視点で、あらためて『ウルトラマンタロウ』のタイラントの回(40話『ウルトラ兄弟を越えてゆけ!』)をみると、ここで描かれていることは、労働者が一人前になるまでの話に置き換えて解釈することもできる話だとおもえます。
この回の「自転車に乗る訓練をしている少年」というのを「労働者」に置き換えた場合、この話における「光太郎や健一」のやっていることは「労働者への職業訓練」に置き換えられます。

この回は、人間が自立するためにも、社会(この場合は光太郎や健一)のサポートが必要というテーマともとれます。光太郎や健一のサポート(自転車を途中まで手でおさえて送り出すことで、バランスをとるコツを教える)や助言なしでは、この自転車にのる訓練をしていた少年は、おそらく永久に自転車にのれなかったかもしれない。そういう点からも、人間が自立するためには「自立のための補助」が必要といえます。

この『タロウ』40話を労働問題に結び付けると、労働者に一人前のスキルをつませるためには、完全に労働者自身の責任として周囲が突き放してしまうのではなく、やはり周囲の人間(すなわち社会)のサポートが必要という意味のドラマにとれますね。
事実、雇用政策で世界でもっとも進んでいるデンマークでは、失業者に対し国が無料で職業訓練をおこなうシステムが存在します(前述の『論座』2008年5月号『コペンハーゲン・コンセンサス』284ページより)。

もっとも、デンマークでも、一時期失業保障の不正受給者が増えてしまい、それによって財政危機になったそうで(『コペンハーゲン・コンセンサス』284ページ)やっぱり雇用保障を充実させても、最後は本人がちゃんと自立するべく努力するということが重要になってきます。

しかし、今の日本は、失業者に対してのサポートが不足しており、すべて本人の努力だけで解決させようと強要している感があり、これは重大な問題だとおもいます。日本政府が、デンマーク並みか、それ以上に充実した失業者へのサポートをやって、それでも当人が怠けているのであったら、それは「自己責任」かもしれませんが、今の日本はそうではないのですから、やはり「自己責任論」を唱える人間たちの言い分は筋が通らないとおもいます。

『タロウ』40話で、自転車になかなか乗れず苦労している少年を、嘲笑して通り過ぎていく同級生というのが何度か出てきますが、自己責任論を唱えている人間たちは、この同級生のやっていることに通じるといえるとおもいます。