これがテーマ主義の原点か 補足

さて、今回は前回の日記『これがテーマ主義の原点か』の補足のようなことを書こうかとおもっています。この日記は、基本的に土日のいづれかに週一ペースで更新しています。日記なので毎日更新するべきなんでしょうが、忙しいことと、資料などの確認作業でけっこう時間がかかるので、この日記は週一ペースになってしまっています。
前回の日記は、もともと土曜日にアップしようと自分の頭のなかでストックしていたネタを、諸般の事情で火曜日にアップしたものでした。もし、前回の日記を未読の方は、前回の日記をどうぞ。

*未読の方はぜひどうぞ。前回の日記『これがテーマ主義の原点か』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/56716328.html

で、前回の日記で『ウルトラマンタロウ』の40話(タイラントの回)についての論考をしました。この回の脚本は田口成光でしたが、前回の文章ではあえて「田口成光論」という書き方をしませんでした。というのも、これには理由があって、実はこの『タロウ』の40話は、以前ある方から譲っていただいた準備稿の台本をもっているんですが、この準備稿では自転車の訓練の部分が、うんていになっているのです。

ただ、うんていになっているだけでなく、ドラマのテーマ的な部分もかなり違います。準備稿では、一人で校庭でうんていを全部わたりきる練習しているタケシ少年と、光太郎の交流が描かれますが、うんていから落ちそうになったタケシ少年を光太郎が手で押さえようとすると、タケシ少年の方からそれを嫌がるという場面があって、完成作品よりも「少年の自助努力」のようなニュアンスが強調されてしまっています。

この準備稿が、プロデューサーや監督らとの打ち合わせの際にされに練りこまれて、タケシのやっている練習がうんていから自転車に変更になり、どちらかというと自立のためのサポートを光太郎(および健一)にうけながら、すこしずつタケシ少年が自立していくという、完成作品のドラマへと変更されているのです。

こういう変更が、だれのスタッフによるものかはわかりません。しかし普通に考えれば準備稿というのは脚本家が考えたストーリーであり、準備稿から決定稿(完成作品)に至る変更というのは、プロデューサーや監督らが意見を出して変更させたと考えるのが自然ではないかとおもいます。
ようするに、準備稿でうんていだったタケシ少年の練習が、完成作品で自転車になったのは、どうも脚本家のアイデアではない可能性が高いのです。おそらくプロデューサーや監督のアイデアである可能性が高いのです。

前回、筆者が書いた『タロウ』の40話についての論考は、おもに準備稿から決定稿で変更された部分についての論考ですので、「田口成光論」としては書かなかったのです。あるいは、田口氏が自発的にうんていから自転車に変更した可能性もないこともないのですが、普通に考えて、その可能性が低いので「田口成光論」として書くのはやめました。

あと、前回の『ウサギとカメ』についての話の補足ですが、佐々木守が原作をやった野球マンガ『男ドアホウ甲子園』は、作品自体は読んだことがないのですが、聞くところによると「主人公は天才で、練習しなくても選手として優秀」という設定らしいですねえ。こういう設定を佐々木守が考えるということからかんがえて、佐々木氏も『ウサギとカメ』を日本昔話と勘違いしていた作家の一人だったみたいですね。

佐々木氏は本来は左翼で、元共産党員でしたが、どうもある時期から吉本隆明の影響をうけたらしく、たまに吉本隆明的なシラケのスタンス(個人主義、資本主義)にブレることがあり、そのへんが筆者としては引っかかる部分のある作家です。で、巷の佐々木守の評価というのは、大体は「シラケのほうにぶれた」ときばかりが、やたらに高く評価されているという傾向もあります。
この『男ドアホウ甲子園』というのも、やはり「シラケ」の方向へぶれたものの一つのようにおもえます。

結局、佐々木氏は、一生涯『ウサギとカメ』を日本昔話と勘違いした(←断定はできないが)まま亡くなられたようで残念です。

共産党というと、最近また共産党員が増えているそうです。90年代というのは、いわば「シラケ派」の価値観が支配的なマスコミの言説として絶対的な地位を獲得してしまい、それゆえに現在の格差社会があるとおもえます。共産党員がふえているというのは、間違いなく、そういう格差社会をなんとか変えようという考えをもった人がたくさんでてきたことであり、このことは、90年代の流行を見直そうという動きが、いよいよ本格化してきた感があります。

オウム事件というのも、そういう90年代的なシラケを助長してしまったという意味では象徴的な事件でしょう。結局この事件以降、「世の中を変えようなんて考えるヤツはオウムに通じるから危険」というレッテル張りが、マスコミに登場する文化人たちの間で横行し、それによって、ますます「シラケ派」の言い分が、90年代の日本において、支配的な言説として固定されて、それ以降2000年代初頭まで、その状態で凍結されてしまったといえます。

オウムがなぜあそこまでたたかれたのかという理由は、やはりオウムが「社会を良くしよう」という目的でテロをやったとマスコミは分析したからでしょう。マスコミは「シラケ」の価値観に支配されていたために「オウムは世の中を良くしようという「正義」だから、同情の余地はない」と考えて、執拗にオウムを叩いたのだとおもいます。

90年代からの国内マスコミはニューアカデミズムのブームによってニーチェ主義に傾倒しているため「正義こそ、徹底的にバッシングして社会から排除するべき」と考え、私利私欲のために犯罪を犯した人間は「生の欲求を肯定しているから擁護する」というスタンスをとっています。オウムへの凄まじいバッシングというのも、あきらかにこの流れによるものでしょう。

実際はオウム自体がニューアカデミズム(主に中沢新一チベットモーツァルト』)の影響下にあったため、諸行無常という仏教的なニヒリズムに陥っており、それゆえにテロを行ったとおもわれます(サリン製造プラントが教団施設のシバ神像の裏にあったことが、それえを物語っています)。

*このことについて、親サイト『ワンダバステーション』の『ニーチェと少年犯罪への一考察』の『仏教とニーチェ』と『80年代以降の日本とは?』くわしくふれました。
http://www.geocities.jp/wandaba_station/niitye.html

補足:「社会主義は失敗したんだから、格差社会はしょうがないんだよ」とお思いの方は、資本主義と社会主義の折衷的な「福祉国家」をご存知ですか? 知らない方はどうぞ。
『現実的な社会変革』(過去の記事です)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/55262715.html