戦慄の派遣村ドキュメント?! その1

1月5日に坂本総務政務官が、総務省の仕事始め式のあいさつで、年越し派遣村にあつまった失業者について、「本当に働こうとしている人か」という暴言をはいたのは今週の大きな事件としてマスコミで取り上げられました。

さて、前回の日記でかいたように、2008年12月31日から1月4日まで、筆者は派遣村にボランティアで参加してきました。この坂本総務政務官の発言自体は、年越し派遣村で実際にボランティアとして参加した筆者にしても「まさに暴言」としか言いようがないんですが、この後にづつく言葉は、ある意味で興味深いものでしたね。

というのも、坂本総務政務官年越し派遣村について「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」という批判をしていました。
この言葉はある意味この年越し派遣村というものの性質を、権力側が鋭く見破ったというものではないかとおもいます。年越し派遣村というのは、実は平成によみがえった60年代~70年代の学生運動(反体制運動)ではなかったかと筆者もおもいました。

入村者(入居者のことを派遣村の主催者側は「入村者」という)には一部報道にあったように中高年がおおかったんですが、ボランティアとして参加した人たちは、けっこういわゆる「ロスジェネ世代」以降の若者が多数いました。かれらと話してみると、みな「自分たちも将来どうなるかわからないから、人ごとではない」と話していて、派遣村に入居した失業者に自分をかさねているようでした。

筆者も参加する前から、この年越し派遣村は、おそらく小泉構造改革以降の労働運動のなかでは「歴史的な労働運動になる」ということを予期してました。「失業者が凍死しないように」という人命救助が派遣村の本来の目的なのですが、場所をわざわざ霞ヶ関に隣接した日比谷公園にしていることからいっても、主催者側がこの年越し派遣村を「一種の政治闘争」としてとらえていることが感じられました。

今おもえば1月2日に主催者側の要請をうけて厚労省の講堂が解放されたのですが、これ自体も最初から主催者側は計画していて、それゆえの日比谷公園での開催だったのではないかとおもえてしまった(「講堂」というキーワードがでるのがミソですね。偶然だったら奇跡的ではないかと。あるいみ失業者による「講堂」の占拠とみるべきか。)。

1月2日の講堂の解放は、現場のボランティアには全然しらされてませんで、家にかえってからネットでの報道で知ってびっくりしましたね。この報道をみたときは「もう派遣村も撤収か」とおもいましたが、みなさんご存知のとおり、派遣村はそれ以降もつづき、現在でも場所をうつしてつづいています。

で、この現在4カ所にある派遣村の入村者の方がたの移転先の一つは、筆者の自宅の近くなんですよ~(すごい偶然・笑)。6日以降、通勤途中のバスが、移転先の施設の真ん前を通るので、気になっていつものぞいてしまいます。現在は、民間のボランティアを東京都側が拒絶しているそうですが、もし民間のボランティアが参加可能だったら、今日あたりもこの近所にある入村者の移転先の施設にいってましたねえ。

上記のように、派遣村というのは、実は大変政治色のつよい運動だったともおもうのですが、筆者がボランティアとしてやったことというのは、そういう政治運動のなかの、実に「非政治的」な単純労働が主でした。しかし、やはり派遣村の本来の目的は「失業者に最低限の衣食住を確保させる」ことにあるので、こういう「非政治的」な雑用こそが、派遣村において実は一番重要なのではないかとおもって馬鹿にしないでできる限りまじめに取り組みましたよ。

小室直樹は『ソビエト帝国の最期 予定調和説の恐るべき真実』(光文社)において、かなり批判的なニュアンスで「マルキシズムは宗教である」といい「共産主義はローマカトリック系の思想である」と書いています(p148~149)。

が、筆者としては、いい意味で共産主義というのは、宗教のなかに内包している人間を人間らしく大事に扱う価値観をベースにしてできあがったものだともいます(宗教のなかにはカルヴァン派プロテスタントのように、必ずしも人間を大事にしていないものもありますが)。

やはり「目の前にいる弱者を助ける」というような、一般的な倫理観が、実は社会主義的な(共産主義的な)「弱者を大事にする」社会のあり方につながっているのではないかと、今回のボランティアに参加してひしひし感じましたね。

今回の日記は、題名は『戦慄の派遣村ドキュメント?!』とシャレでつけてみましたが、実際は現場は、あわただしいことをのぞいては、とくに大きなトラブルもなく、おもったよりスムーズに作業が進んだ感じでしたね。筆者はおもに運搬とテントの設営と調理をやりました。

派遣村というのは、やはり「失業者の食事と住まいを確保」することが最大の目的ですから、筆者はこの「食事と住まい」づくりに、なるだけ参加しようとおもいました。最初は料理は苦手なんで調理はやらないでいようとおもっていたんですが、運搬とテントの設営は最初の12月31~1月2日がピークだったので、それ以降は調理もやりました。

筆者がやった調理といってもおにぎり作りやサラダ作りがメインで、調理の経験がなくても、分業制でだれでもできる簡単なものがおおかったのでおもったよりうまくできましたね。とにかく出来の善し悪しよりは早く大量につくるということが重視されました。カンパとして寄付された食材は数がそろっていないので、オニギリの具は、足りなくなるたびにいろんなものにかわっていきました。

カンパのなかには賞味期限切れのものがけっこうあって、そういうのを探し出すのが得意な人がいたのが面白かったですね。その人がみつけてきた賞味期限切れのものには、乾物など、少し期限切れでも食べれそうなものもありました。ただし、やはり万が一のことを考えて入村者には出さないようにしてました。

入村者にはちゃんと賞味期限内の安全なものをたべていただき、筆者はそういう「食べれそうな賞味期限切れ」の食品を食事代わりにしたこともありましたね(筆者は賞味期限ぎれの乾パン1缶を1月3日の昼食として食べましたが大丈夫でした・笑)。

今回のカンパとして寄付されたものは、野菜とかは名産品がおおかったようで、調理はあらっぽいですが、材料は実はかなり高級で質がよかったのではないかとおもいます。作業中、派遣村の食事はよその炊き出しよりおいしいという評判があがっているという話も聞きましたね。

これだけ書いただけで、もうこんなに文字数があるので、この話題は2回にわけます。次回は、初日から筆者が最期に参加した1月4日までのできごとを、時系列的にかこうとおもいます。
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補足:資本主義と社会主義の折衷的な「福祉国家」の成功例であるデンマークは、雇用政策が進んでいて、現在の日本の雇用問題の解決のヒントがあると思えます。デンマークの雇用政策をくわしく知りたい方は以下の日記をどうぞ。
『現実的な社会変革』(過去の記事です)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/55262715.html