「びんぼうは はじじゃ ないんだ」

最近になって、一部の心理学者が「承認欲求」というような、変な病名を唱えています。代表的なのは香山リカで、最近「仕事中だけウツになる人」というのを題材にマスコミで発言しており、そのなかで「仕事中だけウツになる人というのは、自己承認欲求という症状に分類される(大意)などといっています。

しかし、この「承認欲求」というのは、どうも最近の日本国内の「人類愛」を否定する流行に合致しているため、変だとおもってウィキペディアでみてみたら、どうやら最近、国内の一部の心理学者が急に言い出したことみたいですねえ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82

この症状の概念自体が、「人間はなにか特別な資格がなければ、社会から存在が承認されることなどあってはいけない」とでもいいたげな、人類愛を否定した(いかにも90年代から現在までの日本マスコミ好みの)価値観によってできあがっているようにおもえます。
たしかにマズローの5段階欲求というのにも承認の欲求というのがありますが、それを望むことが「病気」扱いになるのは、いかにも最近の日本の文化人らしい考えかたのようにおもいます。

「人間はなにか特別な資格がなければ、社会から存在が承認されることなどあってはいけない」のであり、それに疑問をもつことは「承認欲求」という病気だということになると、日本国憲法25条を考えた国内の社会主義者(森戸辰男ら)たちは、みな「承認欲求」の精神病患者なのか? それを採用した GHQのニューディール派たちはみな「承認欲求」の精神病患者の集団だったのか?

*追記(12月18日):言葉尻をつかまえた揚げ足取りにあわないように念をおしますが、ここでいう承認というのは「ほかの人より偉いと周囲からあがめられること」ではなくて、あくまで「社会に存在が許可される」という意味です。

ちなみに、GHQがアメリカの隠れ社会主義者ニューディール派だったことについて触れられた本としては、まえに副島隆彦の本(講談社『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』の63-64ページ)を引用元として紹介しましたが、副島氏以外の人の書いた本でも書いたものがありました。

デンマーク福祉国家について論考した竹内真澄/著『福祉国家社会権』(晃洋書房)によると、GHQはニューディール派であり(p39)そのうえで日本国憲法アメリカが福祉国家に近寄ったニューディール期の思想が反映されている(p147)そうです。

この本はまだ全部読んでいないですが、この本の著者も、日本を福祉国家にもっていくための参考にデンマークの研究をされているそうです。

(ついでに蛇足ですが、いままでこの日記でキリスト教原理主義カルヴァン主義について、副島氏や副島氏の師匠にあたる小室直樹の本ばっかり紹介しましたが、ほかにカルヴァンの予定説について書かれてある本は、『宗教改革 ルター、カルヴァンプロテスタントたち』(創元社)のp72~73もあります。)

福祉国家デンマークの雇用政策についてふれた『論座』(朝日新聞社)2008年5月号『コペンハーゲン・コンセンサス』286ページによると、デンマークは歴史的にはルター派プロテスタント)教徒が多いそうです。「コミュニティーのことを考え、何事も控えめに徹し、現代における社会民主主義的な政策を支えるデンマーク人の態度を育んでいるのはルター派教徒がおおいため」なのだそうです。

前回の日記『まだまだ秋葉原事件の余韻はつづく』では、こないだの毎日新聞での有識者座談会で、東浩紀が事件直後とはうってかわって、ロスジェネをたたくスタンスに転向したとかきました。

*未読の方はどうぞ。2008/8/30『まだまだ秋葉原事件の余韻はつづく』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/56432532.html

筆者なりの意見ですが、近年の日本の格差社会の真の原因は、90年代の国内におけるフランス構造主義ポストモダン哲学)のブームにあるのではないでしょうか? 東氏はデリダ派のポストモダニストの学者です。東氏以外にも、いわゆるポストモダンの哲学者で、秋葉原事件について東氏と似たことをいっている学者がいますね(内田樹という人)。

90年代のフランス構造主義ポストモダニズム(いわゆるニューアカデミズム)は、ニーチェニヒリズムをベースにしたものです。なので、これによって「世の中は強弱だけ」というニーチェニヒリズムが日本の一般市民に浸透していきました。だからこそ、日本の大衆は「弱者切り捨て」に通じる小泉総理の構造改革をなんの抵抗もなくうけいれてしまったのではないでしょうか。

そして、この構造改革によって現在の日本国内の経済格差があり、それによって秋葉原事件がおきたということになれば、秋葉原事件の原因をつくったのは、90年代のニューアカデミズムのブームを推進したポストモダニストの文化人たちにあるということになってしまうでしょう。東浩紀も、デリダの影響をうけた「ポストモダニスト」の文化人の一人です。

新自由主義とフランス構造主義は本来不可分だとおもわれます。『理戦』(実践社)no.74の橋本努による『リチャード・ローティ脱構築する』という文章によると、以下のような一節があります。

「(前略)ポストモダニズムは、現実の社会においては、(アメリカの)80年代の中産階級の豊かな消費生活と連動しつつ、政治的には民営化路線を掲げる新自由主義イデオロギーと結びついてきた。(p69)」

とあるように、もともとポストモダニズムというのは、「民営化路線を掲げる新自由主義」とむすびついてきたものです。最近、アメリカの共和党に代表される資本主義の保守主義を「新自由主義」といういいかたをすることがマスコミでおおいです。筆者はリバタリアニズムという言い方で統一していますが、基本的に「新自由主義」とリバタリアニズムは、政治的なスタンスとしてはほぼ同じものです。

人間社会には自然の掟というべき「自然法」があると主張し、そのうえで弱者救済を否定するのが19世紀の欧米の古典的自由主義(『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』239~240ページ、262ページ等参照)であり、この古典的自由主義を20世紀以降に復権させようとする政治的スタンスを「新自由主義」というそうです(『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』90ページ)。

*追記:(2010/8/12)
自然法を否定して人定法(世の中の掟というのは人間がつくったものにすぎない、という考え方)を主張し弱者救済を否定するのがリバタリアニズムです。

スウェーデンデンマークでは、福祉国家がほぼ成功しています。ここでいう成功とは、一応極端な貧富格差がなくなり、そのうえで独裁国家にもなっていないという意味で成功したとしています。そういう現状がある以上、今の時代は、社会主義国がすべて失敗していた60年代や70年代より、希望が持てる時代だとおもえるのです。もともと福祉国家とは、社会主義と資本主義の折衷案みたいなものです。その福祉国家が成功しているんですから、「社会主義が失敗したから、よのなか強弱だけ」とか、そういう90年代の国内のポストモダニストの文化人たちのいっていることは筋が通らないとおもうんですよ。

この日記では、なんどもデンマークの雇用政策についてとりあげました。デンマークの失業率は、前述の『論座』の論文では2.8パーセント(279ページ)です(ネットで探すともっと低いと報じている情報もあります)。この2.8パーセントというのは、日本の80年代と同じぐらいの水準です。

ただ、日本の80年代でも2パーセント台の失業率があったのは事実であり、構造改革以前でも貧乏な人はいました。それも事実ですから、やはり政治による失業や貧困への対策を一応やったうえで、マスコミで「貧乏人を迫害してはいけない」という世論を形成しないといけないとおもいます。

昭和の時代は、それがある程度できていたんですが、80年代後半に『金魂巻』がでてから、貧困者が迫害されて当然という世論が形成されて定着し、そのために「年収300万円以下の男子はダサい」という流行が出来上がってしまいました。
それによって国際的にみれば極端に貧しくない年収200万円の秋葉原事件の容疑者は、自分の年収を「極端に低い」と感じてやけっぱちになって犯行におよび、その犯行に対して、おおくの日本国内の若者は「共感」を感じたというのが、実際だとおもえます。

昭和の時代は「貧乏人を迫害してはいけない」という世論形成がある程度できていました。それを裏付けるものとして、昔のマンガやテレビドラマで貧乏人は「いい人」として描かれることが多かったことがあげられます。代表例としては、やはり昔のスポコン漫画の主人公が、貧乏な家庭にそだったという設定がおおいことがあげられます。

筆者がたまたま今思いついた代表例としては、一峰大二の漫画版『スペクトルマン』の『恐怖の怪獣ショー』という回ですね(大田出版の復刻版の最終巻に収録。)。
貧乏な家庭の子どもが遊園地の怪獣ショーにいきたいと母親にねだると、母親は金銭的に余裕がないからと、それを退けます。
その子どもは、自分の家が貧乏なのが友人たちに知られたくないからと、遊園地の怪獣ショーに行きたがっているんですが、それに対して子どもの父親がいう台詞が「びんぼうは はじじゃ ないんだ」という台詞です。
こういうテーマの漫画やドラマが、昭和の時代はおおかったから、貧乏人への社会的包摂ができていたとおもいます。

*補足:デンマークの雇用政策について、くわしく触れている過去の日記です。
『現実的な社会変革』(本ブログの過去の日記。)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/55262715.html