派遣切りが大変なことになっている

さて、本来は別のネタを書こうとおもっていましたが、最近各種媒体で報じられている工場の派遣社員の大量解雇が、シャレにならない事態になっているようです。なので、こっちについて何でもいいから書いておかねばならないでしょう。

厚生労働省は来年3月までに3万人が失業と言っていますが、下請けなどを含めれば10万人レベルが失業するのではないかと言われているそうで、こういう人たちのなかには、秋葉原事件のときに全国的に有名になったように、解雇と同時に寮を追い出される人もいるのであって、おおくはホームレスになってしまうようです。

こういう人たちが、これから冬をどうやって越すのかというのが、大変な問題ですよ。このままでは凍死する人だってでるでしょう。自己責任論と唱えるような人たちは、それでもこういうホームレスに対して「自分の不幸を社会のせいにするな」とかいって批判するんでしょうかねえ。

ということを考えると、ますます3週前に放送されたゴーオンジャーの40話「将軍フッカツ」は、つくづく「どうしようもない作品」だったということがいえそうです。派遣切りにあって家を失って凍死しそうな人たちに対して「あまったれんな」とかいって殴ってまわるんでしょうかね今の東映テレビプロのスタッフは?(それでもって、そういう人のなかに面識のある人がいればその人だけ助けてあとは凍死しても知らんぷりですか?!)

筆者も派遣社員ではありますが、いわゆる製造業ではないので、今のところクビになってませんので生活はしていけますけど、こういう今凍死するかもしれない派遣社員の方々には、非力ながらもなにかしなくてはと考えますね。そうはいってもせいぜいカンパに寄付するぐらいしか今のところ思いつきません。

一応、本ブログのリンクのところに、反貧困ネットワークの越年緊急電話相談の紹介の記事を掲載しました(転載オーケーとのことなので、ユナイト・ゼロ 政治・社会刷新共同体公式ブログから転載させていただきました。)。

さて、12月11日の「日刊ゲンダイ」には『対策は社会主義化政策以外なし』という大見出しがついていたので「何!!」とおもって思わず買って読んでみました。

この記事は、ようするにアメリカのオバマ政権が、経済建て直しのために、かつてのニューディール政策を真似た「オバマニューディール政策」とでもいうものをやろうとしているという記事であり、この記事ではニューディール政策のことを広義の社会主義として「社会主義化政策」という呼び方をしているのに納得しました。

日本マスコミでやっと社会主義という言葉がマトモな使われかたをし始めて安心しましたね。90年代からついこの間まで国内マスコミは「社会主義は過去に虐殺がおこった。だから社会主義的なことは虐殺に通じる」とか、そんなことばっかりいっていたのですが、ようやく「広義の社会主義」、つまりこのサイトの日記などでよくいっていた社会主義そのものではないが「社会主義的」というような表現が、いい意味で国内マスコミでつかわれ始めたことに安心感を感じています。

ニューディール政策をやった民主党ルーズベルト大統領のニューディール派というのはアメリカのリベラル派の隠れ社会主義者の集まりだったことはこの日記で何度もふれました。アメリカの民主党というのは福祉国家を志向する政党であって、社会主義そのものではないですが「社会主義的」なものです。この部分が長らく国内マスコミでは誤解されていたようにおもいます。こういう誤解がなければ、小泉総理がやった構造改革は、事前にマスコミの力よって阻止できたのではないかとおもいます。

90年代から郵政民営化までの国内マスコミは、この「広義の社会主義」ないし「社会主義的」という考え方が、どういうわけか理解できなかったようで、アメリカの保守主義と左翼というものを、なにか根本的に取り違えていたようにおもえてなりません。

アメリカがオバマ政権になったとたんにニューディール政策をまねた経済政策を打ち出したのをみると、なぜ日本でバブルがはじけたときに、こういうことをやろうと誰もいわなかったのか?という疑問がわきます。政治家がそういうことをやろうとしないという以上に、なぜマスコミに登場する文化人たちが、その手のことを言わなかったのかが疑問です。

文化人たちは当時はあきらかに資本主義を左翼だと思い込んでいて、それによって「景気がわるくなったから自分と身内だけ守るのが精いっぱい」という個人主義をますます強硬に唱えたと記憶しています(宮台真司なんか、ついこの間も週刊SPA!のインタビューでこの手のことを言っている)。
しかし、個人主義というのは即ち資本主義ですから、景気が悪いからといってこういう個人主義をとなえるというのは、資本主義を今まで以上に推進せよといっているのと同じであって逆効果ではないかとおもえるのですがどうでしょうかねえ。

ということで、筆者が派遣切りの問題に対して、なにかしらの援助を考えているのは、こういう90年代的な個人主義への抵抗運動でもあるのです。
景気がわるくなったからこそアメリカのオバマ政権が「社会主義的」なニューディール政策に似た経済政策をやるのと同様に、景気が悪いからこそ筆者は「社会主義的」に派遣切りへの批判と切られた人たちへの援助をやるんですよ。

このままウルトラの話題がなくなるとなんなので、無理やり話をづなげますが『レオ』のブラックドームの回(41話)では、ラストで美山咲子が「人はみんな助け合って生きていくものです」というセリフをいっていますね。このように第二期ウルトラには「助け合うべき」ということがセリフでハッキリといわれてますね(なので某有名脚本家による批判は難癖つけてるだけですね)。

ただし、この「助け合い」という言葉は、なんか助けた相手に見返りを求めているように受け取れなくもない言葉なんで、そういう意味で誤解をまねきそうで抵抗を感じるときがあるのも事実です。一般的に助け合いというのは、「見返りをもとめないで弱者をかばう」という意味につかわれますが、言葉の意味だけみれば、「見返りがなければたすけない」といっているように聞こえなくもない言葉なんで注意は必要でしょう。

ホームレスになるような人は、他者を幸福にするような能力(ようするに人的資本)を失っているからこそホームレスになってしまうのです。なので「見返りがなければ助けない」という価値観は、こういうホームレスを放置することに通じてしまいます。あくまでホームレスは無償で最低限度生存していけるように補助されなくてはならない。これが日本国憲法における「生存権」であり「社会主義的」な考えの基本ではないかとおもいます(ちなみに日本国憲法ニューディール派によってつくられたものであり、それゆえに「社会主義的」な生存権が明記されているのです)。

補足:資本主義と社会主義の折衷的な「福祉国家」の成功例であるデンマークは、雇用政策が進んでいて、現在の日本の雇用問題の解決のヒントがあると思えます。デンマークの雇用政策をくわしく知りたい方は以下の日記をどうぞ。
『現実的な社会変革』(過去の記事です)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/55262715.html