「クリスマスはデート」という流行は誰が望んでいたのか

さて、今日も本当はあまり書くことがないのですが、書かないと忘れられるんで更新します。
といっても、本当は書きたいことは少々あるんですが、ある種の「政治的な駆け引き」を理由に、先送りします(本当は、今でている『特○ニュー○イ○』にでている某PDのインタビューを構成した記事について、2、3いいたいことがあるんですが)。

ちょっと古いニュースになってしまうのですが、先月クリスマスについて以下のような記事がありました。

『未婚男性7割が「恋人いない」、「Xmasまでに欲しくない」も半数。』
(2008/11/17 Narinari.comより)
http://www.narinari.com/Nd/20081110578.html

この報道によると、なんと20代250人、30代250人の未婚男性の71.2%が恋人がいないという結果がでたそうです。

この結果は、最近そうなったということではなく、実は「クリスマスには恋人とデートする」という流行ができあがった90年代から、潜在的にはこういう感じだったのではないかとおもいます。しかし、あの当時マスコミ(主に『宝島』あたり)は、「モテない人」への猛烈なバッシング(あるいは無視)を行いつづけたので、彼女のいない独身男性でも、見栄をはって、本当は彼女がいないのに彼女がいるように周囲にみせかけたり、アンケートでも彼女がいないのに「彼女がいる」と答えた人が多かったのではないかとおもいます。

それが、最近ようやく、『電波男』の出版を皮切りに『中年童貞』の出版や『革命的非モテ同盟』の登場など、非モテの男性自身がモテていないことを「カミングアウト」しはじめたために、やっとアンケートでも、みんな正直に答えるようになったのが実際だったとおもいます。

そうなると、恋愛ブームの際にやたらにマスコミが「クリスマスの夜は彼女とデートするべき」という流行をしかけたのは、一体誰が望んだのか??ということになってしまいます。実は大半の男性がそんなことを望んでいないのに、マスコミが勝手な思い込みで、そういう流行を作り上げたというのが実際なのではないでしょうか?

そういえば、先々週ホームレスに鉄拳制裁で自己責任論をおしつける怪作を放送したゴーオンジャーですが、なんか今日放送された話は、公式ページの文章からすると、またも内向的な非モテ人間を罵倒する話だった可能性が高いですねえ。「見た」という方は、そういう話だったかどうかメールください。

最近はおおくの女性が「年収の低い男をバカにする」という価値観をもっていて、年収の低い男性は彼女ができにくくなっていて、これが問題になっているのに「女性は男の真心でしか動かない」という説教を男性に対してやってもしょうがないじゃないかとおもうんですけどねえ。

こういうことは、女性にたいして「男性を年収なんかで評価しないで、真心の部分を評価するべき」というように誰か(←今の女性があこがれている有名人など)に啓蒙してもらわないとどうしようもないですよ。

革命的非モテ同盟』といえば、今でている2009年1月号の『月刊宝島』では『SEX格差社会「貧困」は恋愛もSEXも奪う!』という特集があって、これに『革命的非モテ同盟』が取り上げられていますね。この特集には年収300万以下では恋愛もSEXもできないということが書いてあります。
今の東映テレビプロは、こういうこともおそらく視野に入っていないんでしょうねえ。それでもって自分たちの掲げる快楽主義(=功利主義=資本主義)の価値観に異論を唱える人間は番組内で鉄拳制裁してねじ伏せておわりですか?

ゴーオンジャーでは、先々週ホームレスに鉄拳制裁で自己責任論をおしつける怪作を放送してたんですが(40話『将軍フッカツ』)、その直後に「大学生の内定取り消し」の問題が社会問題化したというのは、皮肉としかいいようがないですねえ。
*この件についてふれた前回の日記です。
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/57532937.html

この「大学生の内定取り消し」は、『週刊SPA!』ですら学生側を擁護する論調で特集をくんでいます。もともと労働者の権利を認めないというのは18世紀の価値観なのに、東映テレビプロのスタッフたちは、いまだにこれが理解できていないようですね(だたし、この『週刊SPA!』の特集でも城繁幸のインタビューだけは学生側を批判していますが扱いは小さいです)。

やや話はかわって、マスコミ批判を一貫しておこなっている本サイトですが、この間起こった厚生事務次官へのテロに対しては、筆者は少々複雑なスタンスなんですよ。
最初この事件をマスコミは年金テロと断定して大騒ぎしたんですが、犯人がつかまってからは動機が政治的な動機ではなかったこという情報がながれました。一部ネット上では、当初この事件を「テロ」と断定して報道したマスコミの「フライング」を非難する声もありました。

しかし、筆者としては、この事件については、マスコミの肩をもつわけでもないんですが、どうもいまだに単独犯だとはおもえないんですよ。最近社会保険庁の不祥事がおおいし、この事件の直後に、また社会保険庁で不祥事が表面化したりしてるので、なんかの口封じのようにしか見えないんですよね。

そういう報道がそのうちあるのではないかとおもっていたんですが(『週刊SPA!』などではその手のことを書いている文化人もいた)、この事件自体が最近だんだん取り上げられなくなってきてて、結局なんだかよくわからない事件として闇に葬られそうな感じです。

この厚生事務次官へテロをやった犯人は「官僚は悪」という発言をしていたという報道がありました。
こういう報道があると、またも「善悪はない」などというようなことをいう論客がでてきそうなんで釘をさしておきますが、筆者も罪を犯した人間に対し「死んで償うべき」という考え方には基本的には反対です。しかし、罪自体は「悪事」であって問題なのだから、それは否定しなくてはいけないでしょう。

90年代以降、一部のマスコミの論調では、ある行為を罪として批判することと、罪を犯した人間を殺すべきかどうかという話とが、すぐにごちゃ混ぜになってしまうのが問題だとおもいます。
正当防衛として殺さざるを得ない状況ならばしょうがないですが、そうではないのなら、やはり罪を犯した人間に対しては、罪を犯したからといって殺したりしないで、その上で罪は罪として批判して是正するのが本来だとおもいます。

補足:資本主義と社会主義の折衷的な「福祉国家」の成功例であるデンマークは、雇用政策が進んでいて、現在の日本の雇用問題の解決のヒントがあると思えます。デンマークの雇用政策をくわしく知りたい方は以下の日記をどうぞ。
『現実的な社会変革』(過去の記事です)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/55262715.html