4/2ボウケンジャー雑感とウルトラマンメビウスとジョン・レノンの言葉

さて、今回のボウケンジャーは傑作でしたね。やはり期待通りというか、やってくれました。単純なウルトラマンエースの4話のリメイクではなかったところもよかった。今回は本当に書いた物語のとおりに事件がおきるのではなくて、偶然だったということですね。
リュウケンドーもよかったのですが、総集編なのでちょっと残念。でもけっこうジーンとくる部分もある話でしたね。

さて、仮面ライダーカブトはまた視聴をボイコットしています。最近でた雑誌を立ち読みすると、やはり展開は7話以降ずっとあのままのようなので、筆者はもうこの番組は見ないでしょう。

筆者がカブトを見限った7話ですが、この話は中盤の豆腐をめぐった料理対決の部分で番組のドラマのテーマを語りきったようですねえ。豆腐を公平に2等分しようというハチのライダーに対し、主人公のカブトは料理対決をして勝ったほうが豆腐を全部もらうという提案をします。この辺なんかはもろに競争原理を称揚するようなドラマ展開ですねえ。こういう個人主義のテーマから平成ライダーはいつになったら脱却するのか。個人主義は資本主義に通じるため右翼であり、今のブッシュ政権イデオロギーに通じるものであるということが今だにわかっていない。

こういう仮面ライダーカブトの7話のドラマへのアンチテーゼとして、ジョン・レノンの以下の言葉を引用しましょう。
「誰もがあらゆるものを平等に所有するべきだし、工場を共同で所有して、誰がボスで誰が何をするのかを決める発言権を与えられるべきだと思う。学生自身が教師を選べるようでなきゃ駄目だ。コミュニズム共産主義)のようなものかもしれないけど、僕は本当のコミュニズムというものがどういうものかを知らない。本当の共産主義国なんてこの世にはないからね。」

これは『ジョン・レノン120の言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)68ページに収録されている言葉ですが、このように「あらゆるものを平等に」というのが、本来の左翼のラディカルなスタンスだとおもいます。現実にはすべてものものが平等にすべての人に配分されるというのは難しいのですが、極力できる範囲でそういう状態に近づけるのが左翼というもののはずです。

それが、どういうわけか90年代の日本では(ひょっとしてもっと前からか?)極端な個人主義がラディカルな左翼だという誤解が広まり「他人に危害を加えてでも個人主義を徹底させるのがラディカルな左翼だ」という誤解が定着してしまったようにおもいます。そういう誤解が定着してしまえば、犯罪が増えるのは当然でしょう。

ヒッピーも『アシッド・ドリームズ』(第三書館)によれば、「私有物は最小限にしぼった共生的生活を実践していた」とあります(155ページ)。これは共産主義の特徴である「私有財産の否定」を実践しているものといえるでしょう。私有財産の否定というのも、ラディカルな左翼思想の基本的なスタンスで、私有物を否定することで、経済の格差をなくすという狙いがあります(私有財産を完全に平等にするというのもラディカルな左翼のスタンスといえるでしょう)。

筆者はジョン・レノンが特別大好きというわけではないのですが、今の日本のメインカルチャー側の出版マスコミにはジョン・レノンのファンが多いらしく、ジョン・レノンの言葉を引用したがる傾向があるのですが、『ジョン・レノン120の言葉』を読むと、実はジョン・レノンは、今の国内の出版マスコミが嫌いそうなことも色々いっているんで、そういう発言の一つをあえて引用してみました。

あと、やはりウルトラマンメビウスには期待大ですねえ。いきなりバードンがでるとはおもいませんでした。しかも、着ぐるみの造形も当時のイメージのままで、一瞬当時の写真かとおもうぐらいでびっくり(よく見ると、細部が微妙にディティールアップしているのもすごい)。こんなすごいものが生きている間に拝めるとはおもわなんだ。内容も謎で引っ張る作風であきの来ないシリーズになりそう。なぜかネット局がすくないけど、また業界的な圧力がかかっているんでしょうかねえ。

メビウスは、番組宣伝ポスターや主人公の名前などに「未来」という言葉が強調されています。未来というとジョン・レノンは『ジョン・レノン120の言葉』によれば「地球の未来は僕らみんなの手にかかっているんだ(41ページ)」という言葉もいっていましたね。こういう言葉もメインカルチャーが嫌いそうな言葉の一つじゃないでしょうかね。ジョン・レノンは「未来はない」なんていう(メインカルチャーが喜びそうな)ことは言っていなかったわけです。