3/26リュウケンドー、ボウケンジャー雑感

こういうタイトルつけるのも1年ぶりぐらいですかねえ~。
今日はリュウケンドーボウケンジャー両方みられました。先週はリュウケンドーは見逃してしまいましたが、今週の展開からすると、先週は主人公が敵の挑発をうけて変身して戦って敗退して、変身不能になって特訓する?という話だったみたいですねえ。
川崎郷太がこっちにきましたか。川崎氏も平成ウルトラに個人主義を持ち込んでしまったという功罪はあったとおもいますが、今回はそれを払拭してくれたんでよかった。全体的にギャグも好調で楽しめました(ただ、今回の「強くならなくてもいい」という主人公の台詞は先週の展開をみてみないとどういう意味でいった台詞なのかよくわからんが、特訓するということそのものを否定するような意味ではないことを祈る)

ボウケンジャーもずっと好調続きで安心してみれますねえ。毎週プレシャスを探しにいって敵がそれを妨害するという段取りが意外に新鮮に感じられる(なんかボーンフリーみたいですね)。30作つづいた戦隊も実はまだ工夫しだいでは新しい切り口があったのだと驚きますね。

あと、やはりふれなくてはならないのが、ウルトラマンメビウスでしょうねえ。ウルトラファミリーの設定がテレビにも導入されるのは意外でした。いやおうなしに期待はたかまります。もし第二期ウルトラが第一次アニメブーム時にたたかれなければ、こういうウルトラの新作が作られていただろうと考えると興味ぶかいです。なにかパラレルワールドの世界をのぞいているような感覚ですねえ。

で、仮面ライダーカブトについてですが、先々週の放送分の内容か気に入らなかったので、またも視聴をボイコットしています。前回の日記の『WASPのPとはなにか?』は、そのまま先々週のカブトの感想も兼ねていたんですけどね。

前回の日記のづつきですが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、カルヴァン派プロテスタントが近代資本主義の生誕に貢献したということを分析した本として有名です。この本にはカルヴァンの予定説について説明している箇所に興味深い記述があります。

「地上の「正義」という尺度をもって神の至高の導きを推し量ろうとすることは無意味であるとともに、神の至上性を侵すことになる。(岩波文庫大塚久雄訳、152ページ)」
「われわれが知りうるのは、人間の一部が救われ、残余のものは永遠に滅亡の状態に止まるということだけだ。人間の功績あるいは罪過がこの運命の決定にあずかると考えるのは、永遠の昔から定まっている神の絶対に自由な決意を人間の干渉によって動かしうると見なすことで、あり得べからざる思想なのだ。(同じく152ページ)」

これらの記述からすると、カルヴァン主義というのは、ある種、背徳主義的な意味合いのあるキリスト解釈であって、ニーチェのアンチキリスト(反キリスト)におけるキリスト解釈に通じるものともいえます。「地上の「正義」という尺度をもって神の至高の導きを推し量ろうとすることは無意味~」なんて、クリスチャンの某有名脚本家がしょっちゅういっているようなことですねえ。ひょっとして「あの人」はカルヴァン派なのかな??

その「あの人」が書いたウルトラマンエースの4話へのオマージュといえる話が来週のボウケンジャーの内容のようですが(汗)あのエースの4話というのは、そもそもプロデューサーの好みに合わせた作品というかんじで、あまりあの人らしくない話だったようにおもいますねえ。
来週のボウケンジャー清水紘治をわざわざキャスティングするところなんかは凄いとしかいいようがない(てっきり脚本の會川昇のリクエストかとおもいきや諸田敏監督のリクエストだったとは)。清水氏もこういう「書いた作品どおりの出来事が現実になる作家」の役を演じるのはウルトラマンダイナの『怪獣戯曲』もふくめると3度目ではないでしょうか?