精神病患者の人権

さて、このサイトでは一貫して精神病の患者への人権擁護を訴えてきましたが、やっと世論(というよりマスコミで「左翼」を自称している人たち)が、この問題に本格的に取り組み始めたのかと思える動きがありました。

精神病のドキュメンタリー映画『精神』という作品が近々公開されます。

*『精神』公式サイト
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php

この映画の一般公開に先立って、各地でトークイベントが開かれているようで、先日は大阪でイベントがあって、そこで若い世代の客から「精神病患者に同じ人間としてのやさしさをむけていなかったことをとても残念に思う。 」という感想がでてきたそうです。

筆者はこの問題については、もうサイトを立ち上げる前から訴えてきたことですね。つい最近もこの問題について取り上げています。

*『昭和の恋愛の基準とは』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60952920.html

おもえば、90年代の、精神病患者への差別の流行自体が、ちょっと異常な盛り上がりかただったとおもいます。そういうなかで、某トレンディドラマの「冬彦さん」がでてくる作品が異様な人気になってしまったり、『エヴァンゲリオン』も映画版の最後のオチで、対人恐怖症の人間を差別しているとしか思えないオチがついて、それについて知識人たちが好意的な評価を下す、というような、変な現象が延々と続いたのではないかとおもいます。

先の『精神』という映画が作られるのは、筆者からすればちょっと遅すぎたとすらおもえます。

ドラッグ文化の代表的な詩人、アレン・ギンズバーグは母親が精神病患者だったことから、母のような精神に異常をきたした人間を救済すると決心し「人類に光明を与えると誓った」といいます(『ギンズバーグ詩集 増補改訂版』(思想社)のあとがき『「カディッシュをめぐって」』(p242)より)。このように、精神病患者を擁護することは60年代アメリカのドラッグ文化、ヒッピー文化にも通じるといえます。

さて、今日のゴセイジャーですが、競争社会に打ちかつ子どもに育てたいという親の欲望に目をつけて感染拡大をさせる「天才かぜ」の設定が秀逸でしたね。話のメインはブルーとブラックの確執と和解で、あまり進学競争の問題をメインのテーマにした感じではなかったですが。

このアイデア一回で終わらせるにおしいですね。ワクチンの効かない新型ウイルスをつくって、第二段の天才かぜ作戦をやるとか期待したいところ(そこで、ライブマンのドクターオブラーの過去話みたいな、進学競争を批判するドラマをやるとかですね。)

ちなみに、前回、前々回、その前の日記の、所得税の累進率引き上げの記事は、できるだけ多くの人に読んでいただきたいので、リンクしておきます。未読の方は必読!

2010/2/27『ついに裕福層増税への動きが!』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60975082.html
2010/3/2『理想の最高税率とは』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60989175.html
2010/3/7『文化人の合法的脱税?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61008228.html