3/11ゲキレンジャー雑感

さて、今日のは来週もみないとなんともいえませんねえ。どうも予告をみると、またボウケンジャーの「冒険バカ」を蒸し返そうとしている感じがみてとれますね。ボウケンジャーで筆者が見るのをやめるきっかけになった話である「使命を否定して『冒険がすき』と主人公にいわせる回(18話)」をまたリメイクしようとしている感じがします。

主人公が不安を乗り越えられないのは「みんなを救う」というような利他的な価値観が邪魔をしているからで「拳法がすき」という気持ちだけで戦えば不安が乗り越えられる、というような、そんなテーマの話のような気がしますねえ。まあ予想したことではありますが、そういう話なら、なにがあっても即視聴を中断します。これでまた朝はゆっくり寝られる日がくるなあ。

さて、今でている朝日新聞社の『論座』では、個人主義が左翼であるという誤解をやっと見直すような記事がのっていましたね(とくに55ページ)。今までマスコミの表にでているエセ左翼(実態は資本主義の右派なのに左翼にみせかけている)ではなく、やっと本来の左翼がマスコミで発言するようになってきたとおもうとうれしいですね。

また朝日新聞の読者投稿『声』のコーナーにも3月2日に『「同質的な国」 歴史観に誤り」という文章がのって、ここで教育基本法の改悪について
「改正教育基本法の前文「公共の精神を尊び」にかかわる「公共」の概念についても、それは国家だけではなく、NGO・NPOなど市民が主体的に働きかける「市民的公共性」という側面が「公共」の概念にはあることを指摘したい。文科相には、理念を正確に伝える発言をして欲しい。」
という一節があったそうです。この一節には筆者も同意ですね。

副島隆彦の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』を読んでいると、朝日新聞も80年代あたりまでは資本主義を左翼だと間違うようなことはなかったようなんですが、そういう朝日が最近になって変な勘違いをしたのは、やはり90年代の流行の影響をうけたからだといえますね。だた、朝日といっても一枚板ではないので、アエラとかは相変わらずの可能性もありますが。

副島隆彦の本というと、実は『国家の品格』よりもはるか先に、カルヴァン派プロテスタントの「神のみえざる手」についてふれている本をだしています。
カルヴァン派プロテスタントについての記述は前述の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』にもありますが、この本ではなぜか「神のみえざる手」を「神のみえざる子」と誤植しているので『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(下)』のほうがお勧めですね。
この本の204~206ページに、カルヴァン派プロテスタントについての記述があり、これは『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』よりも詳しくかかれてあります。

国家の品格』をよむより、筆者としてはこっちをお勧めしますね。『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(下)』の上記のページを読んだうえで、アダム・スミスの『国富論』とマックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を自分で読んだほうがよさそうです。

前回の日記の補足ですが、日本の天皇制を内外の左翼が絶対王政の状態として分析したということは、有名な本では小熊英二の『<民主>と<愛国>』の125ページにあります。ここでは海外の左翼(コミンテルン第三インターナショナル)が先に天皇制を絶対王政として分析しており、これに国内の左翼知識人たちが準じたということがかかれてあります。