郵便局の東映ヒーローのポスターに唾をはく

さて、筆者は当然ですが今日の仮面ライダーカブトも見ていません!!(ボウケンジャーはお休み)
でも、まぎらわしくカブトの放送日にカブトの感想ではない仮面ライダー関連の文章をアップします。

おっと、その前に昨日の日記の補足です。筆者は教育基本法の改正の問題で、いままでずっと「愛国心と公共意識を同一視してはいけない」といいつづけていますが、その根拠として、以前話題になった「世界が100人の村だったら」を挙げましょう。

この「世界が100人の村だったら」は、地球規模での経済格差の問題、地球上の富がきわめて不均衡に配分されているという、いわゆる「南北問題」を直観的な数字で示したものです。
愛国心という「自分の国だけ愛する」という価値観だと、こういった地球規模の格差は放置してもよいということになってしまいます。それではリベラルとはいえないでしょう。なので、やはり愛国心は公共意識とはかけ離れているものだといえるとおもいます。

本題の仮面ライダーの話題に入りましょう。今でている『EX FLASH』は昭和の仮面ライダーの特集があって、短いコメントですが、1号からスーパーワンまでの歴代ライダーの主演俳優のインタビューがのっていました。この特集でおどろきなのは、一時期消息不明だったアマゾンの岡崎徹のインタビューがのっていて、ちゃんと近影もあったということ。

で、その昭和のライダー特集の前のページには、サッカーワールドカップの記事があって、ここにはジーコ監督についての記事があったのですが、そこでかかれたあったのは、ジーコは組織より個人を重視するチームづくりをするポリシーをもっていて、組織のなかで個人の才能を最大限に引き出せば日本チームは世界と十分に戦えると考えていたという話がのっていました。

しかし、この「組織のなかで個人の才能を最大限に引き出せば世界と十分に戦える」というのは、このサイトでなんどもふれているカルヴァン派プロテスタントの宗教ファンタジー「神の見えざる手」に通じるんじゃないでしょうかねえ。「神の見えざる手」とは「個人が貪欲に自己利益を追求すれば神の見えざる手によって自然と社会は調和する」というもの。これが今のアメリカの保守政権のイデオロギーであり、それによってブッシュ政権は軍事ビジネスによる利益の追求と、社会保障のカット、裕福層への減税をおこなって弱肉強食の格差社会を築こうとしているのです。このことはこのサイトで何度もふれました。

で、ジーコジャパンは惨敗しましたが、そのときの海外のマスコミに、大変興味深い分析がありました。

*各国報道はFW高原に最低点
http://germany2006.nikkansports.com/paper/p-sc-tp4-20060614-0026.html

この記事によると、スペインのマルカ紙ではジーコジャパンの敗因として「技術のある選手がそろっていながら、ほとんどの選手が個人主義に走っていた」と、意思統一ができていなかった点を挙げたそうです。つまりマルカ紙はジーコジャパン個人主義的な体質が惨敗の原因だったという分析をしているのです。マルカ紙というのはスペインで有名なサッカー中心のスポーツ新聞だそうです。

ジーコ本人がカルヴァン派プロテスタントかどうかはよくしらないのですが、ジーコのチームづくりの信念の根底にはカルヴァン派プロテスタントの「神の見えざる手」の概念に通じるものがあったのは事実でしょう。そういう信念によってできたチームがワールドカップで惨敗したというのは、やはり「神の見えざる手」は実在しない宗教ファンタジーだったということを証明したといえないでしょうかねえ(サッカーにあまりくわしくない人間がこんなことをいうのはなんですが)。

この『EX FLASH』には、元鹿島アントラーズ賀谷英司の「もう少し意思統一がはっきり見られるとよかった」という前述のマルカ紙の分析に通じるコメントがのっているが、記事全体としてはジーコカルヴァン派プロテスタント的な「個人主義的な信念」への批判的なコメントはなく、好意的にあつかっており、こういう記事がのるとまた市民の深層心理に「神の見えざる手」の概念がいままで以上に刷り込まれて、また郵政民営化のようなことがおこるのではを不安になってしまった。

今の出版マスコミが「神の見えざる手」の概念からなかなか脱却できないのはちょっと不気味な気がします。いつまでこんな状況がつづくのか?