もうひとつの政教分離問題

そういえば、また最近いやなニュースがありましたねえ。
21日のニュースで、自民党税制調査会ニート、フリーターを抱える世帯の税負担を増やすことで、若年層の本格的な就労を促進するという変な法案を出そうとしているというのがありました。
http://www.excite.co.jp/News/politics/20060522020006/Kyodo_20060522a163010s20060522020009.html

なんどもいっているのですが、フリーターやニートがふえるのは、企業が正社員の採用を抑制しているからなんですが、この部分を逆にして、フリーターやニートが働かないから景気がわるくなるという変な理屈をいいだがるこういう政治家や一部メインカルチャー側のマスコミは本当に腹が立ちますねえ。

こういう「失業者は仕事に対して貪欲さが足りないから失業するのだ」という理屈は「人間が貪欲になって激しく競争すれば、自然と社会全体の貧富格差はなくなる」というアダム・スミスの「市場の法則」に通じます。これは、前にもいいましたが、カルヴァン派プロテスタントキリスト教から派生した「神の見えざる手」の論理なんで、まさに右翼的だといえましょう。

この法案は、このカルヴァン派プロテスタントの「神の見えざる手」という宗教的なファンタジーを現実政治に適用しようとしているといえ、その点で政教分離がなされていない法案、といえるのではないしょうか。

こういう動きに対して、一応批判的な勢力もあります。
24日の毎日新聞によると、財務省の財務総合政策研究所の「多様な就業形態に対する支援のあり方研究会」は、90年代に企業が新規採用を抑えた影響でフリーターが増加したと分析し、知識や技術を身に着けるための教育投資への税制優遇など、脱フリーター対策が必要だと指摘しています。
http://www.excite.co.jp/News/economy/20060524203300/20060525M20.076.html

この報道のエライ点は、「フリーターは90年代に企業が新規採用を抑えた影響で増加した」とはっきり指摘している点でしょう。こういう報道はもっと大々的に報じられてしかるべきなんですが、そういうことがなく、たまに新聞でちょこっと触れられる程度なのは、やはりマスコミ業界自体が市場原理で動いていて、右翼的な体質をもっているからでしょう。

カルヴァン派プロテスタントの「神の見えざる手」という宗教的なファンタジーは、国鉄民営化の際に日本社会に定着してしまいました。このことは、以前このサイトの日記でふれましたが、この「神の見えざる手」の概念は恋愛に適用され、90年代の恋愛ブームというひとつの大きなブームになってしまいました。
いわゆる「モテない人は異性に対して興味が薄いから(欲が弱いから)モテないのだ」という論理は、「神の見えざる手」を恋愛に適用したものといえます。この考え方は恋愛ブームの根幹にあるもので、恋愛ブームとは、事実上モテない人をいかに馬鹿にして迫害するかというブームだったのです。

こういうブームの延長をいまだにつづけているのが週刊SPAで、最近やっとマトモになってきたかとおもいきや、今週号をみるとまた元にもどってしまっていた。今週号のSPAでは、また「結婚できない男性」を批判する特集があって、そのなかで「オタク叩き」とか「モテない男性叩き」を再開しようという動きがみられます。

この特集には「女性からみたキモイ男性」というコーナーがあって、そこでは「プリキュアにはまっている男性の上司」というのが例として上げられています。この上司は「部下の細かいミスを指摘する上司」であり、それをこの記事では「アニメのキャラクターのような完璧な女性しか愛せないから現実の女性に興味がなく、なのでモテない」と結論づけています。
これは「モテない男性は現実の女性に興味がないからモテないのだ」という論理であり「神の見えざる手」の概念を恋愛に適用している論理といえます。

しかし、そもそも「プリキュア」の主人公が「ミスを犯さない完璧な女性」として設定されているのかどうか疑問です(筆者はプリキュアはみてないので、見ている方は情報ください)。ミスを犯さない完璧な人格の主人公なんて、40年前のテレビマンガのキャラクターだとおもえるんですけどねえ。

筆者がこのブログを立ち上げてから、よそ様のブログをいろいろ見て驚いたのは、旦那がオタク的な趣味を持っている主婦のブログというのが意外に多いという事実です。こういうことを無視して「オタクは女性からキモ悪がられる」ということばかりメインの出版マスコミで強調するのは、やはりそうやってサブカルチャーのイメージを故意に悪くしてファンを減らして、業界内のヒエラルキーを維持するという、きわめて右翼的な目的があるとおもえます。

前述の「プリキュアのファンの男性の上司(これ自体が実在する人物なのかどうかも疑問だが)」は、やはり現実の女性にモテないからアニメのキャラクターを欲求不満の捌け口にしているとおもえます。こういう男性がふえる原因は、現実の日本の女性(メインカルチャーの供給する価値観に従順な女性)が、あまりに男性に対して細かい条件をつけるから、それに疲れた男性がアニメのキャラクターにはまるんでしょう。

細かいミスを指摘されるのが不快だというのはわかりますが、そういうタイプの上司はアニメファンでなくてもいるわけで、それなのにアニメファンであるという属性ばかりを強調するのはおかしいといえます。
筆者自身の経験からいえば、細かいミスを指摘する上司というのは非オタク系の人にけっこう多いです。また、そういう人でも結婚している人もおおいので、これがモテない直接の原因とはおもえません。

「平等な幸福」をモットーとするのが左翼の基本的なスタンスです。なのでだれでも簡単に恋愛ができる、という状態に社会をもっていくのが本来の左翼的なスタンスだとおもえます。
男性に厳しい条件をたくさんつける女性を肯定するという、こういう雑誌の記事はそいういう平等主義的なスタンスとは逆であるという点で右翼的であるといえるとおもいます。こういう流行は男性を競争にかりたてるだけであり、こういう流行をかえないと、日本社会を「競争原理をモットーとするアメリカ資本主義」のいいなりにしてしまうだけでしょう。

週刊SPAの今週号の記事では、女性から嫌われる男性として「話し相手と目が合わせられない男性」というのもあげられていましたが、これは、神経症(現在の呼び方では社会不安障害)の症状のひとつである「視線恐怖」という症状です。こういう男性が女性から嫌われるというのは、世間の神経症患者への無理解を物語っており、本来こういう神経症の患者に対して、健常者の側に理解を呼びかけるのが左翼的なスタンスというものでしょう。
そもそも、神経症には「好きな異性に対してあがって話ができなくなる」という対人恐怖症の症状もあります(『ニューズウィーク日本版』2003年10月15日号に56ページより)。
神経症にこういう症状があるということをいまだに出版マスコミで殆ど触れないのはやはりおかしいとおもえます。

今日の毎日新聞の大阪版ではメイドカフェを批判するような記事がのったりしているそうで、またメインカルチャーが急にオタク叩きを再開しようとしているようなのはどういうわけなんでしょうねえ。

そういう動きのなかで、ちょっと安心する動きがあるのは、石田衣良の「アキハバラ@DEEP」(文藝春秋)が映画化されるというニュースです。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200605/gt2006052501.html
この小説は読んだことないし、筆者はアキハバラにはいかないし、メイドカフェにもいかないのですが、この映画の登場人物(主人公側)には吃音障害の人がいるというのには驚いた。
これは映画だけの設定か、小説もそうなのかはしりませんが、吃音障害というのも神経症の症状の一種であり、女性にキモわるがられる症状のひとつなので、こういう作品がつくられることで吃音障害の人への社会的な理解がうながされ、吃音障害の人が女性からキモわるがられなくなることを期待します。
(今日は体調がわるいので、気分が落ち込んでて愚痴をたくさんかいてしまった…)