「女に生まれればよかった」の謎

さて、更新わすれそうでしたが、思い出したのでイレギュラーで火曜に更新します(本来は土日いづれかに更新するのがルールなんですが)。

今、巷の貧困論壇では秋葉原事件の公判で話題沸騰です。自分の知り合いの某フリーター労組の人も傍聴にいっています。
しかし、全体的な印象としては、なにか話を労使問題のほうにいかせないように(なにかしらの勢力が)裁判をもっていっているような気がしてならない裁判の進み方ですね。なぜかネット上でのモメごとが強調されている感じで不思議です。

で、秋葉原事件の犯人がケータイに書いた言葉で「女に生まれればよかった」という言葉があります。この言葉と関連するかと思える報道が先日ありました。

『女性雇用が回復する中で低迷する男性雇用』(MONEYzine 宮島 理- 07月31日 14:33)
http://moneyzine.jp/article/detail/186976

この報道では、、女性の失業率が男性の失業率を下回る現象が10年以上続いているそうです。これは筆者も実感としてあります。あきらかに今の日本では女性のほうが割と簡単に職にありつけます。

このように、今の日本の現状というのは、実は労働市場でも女性のほうが優位にあるのです。こうなるともう女性は「弱者」ではないでしょう。

前回の日記『日本の結婚は「労働契約」』では、日本の家庭は伝統的に妻が家計を管理して夫が妻からお小遣いをもらう、というシステムが一般的であり、それによって日本の社会では「男性=労働者」「女性=雇用者側」という図式ができあがっており、これは国際的には日本だけといっていい特殊な社会システムであるということに言及しました。
(『週刊ポスト』2010/7/23号の56ページ~の『日本のサラリーマンの「小遣い」は世界最低になった』より)

*前回の日記を未読の方はどうぞ。
『日本の結婚は「労働契約」』(2010/7/25)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61532245.html

仮説ですが、日本の伝統的なジェンダー観である「男尊女卑」というのは、実は「お小遣い制」によって経済的には妻が家庭内で夫より優位であり、家庭内で雇用者側(極端な言い方をすれば権力者)になってしまいがちなことから、それとバランスをとるために「男尊女卑」という社会的カーストで男性(夫)を上位におくことで家庭内の男女平等を保とうとしたからではないでしょうか?

江戸時代では、資金力のある商人はそのままだと武士よりも力をもってしまうため、士農工商という社会的カーストで商人を下位におくことで商人の力を押さえて、武士と商人の社会的なパワーバランスの均衡を保っていました。
実は日本の「男尊女卑」というのは、商人をカースト士農工商)の最下位におくことで商人の力を押さえようとしたのと同じように、妻を夫より下のカーストにおくことで妻の力を押さえて男女の家庭内の力関係の平等(均衡)を保つためにできていた社会的カーストなのではないでしょうか?

むろん、そういう社会的カーストで平等を保つというやり方は前近代的なので否定されるべきですが、日本の女性解放運動の場合は、ただ一方的に女性の権利を主張するのではなく「女性も抑圧する側にはなってはいけない」ということを強調する必要があるでしょう。

日本のジェンダー事情は、実は「家庭内で妻が家計を管理し、男性が妻に雇われる労働者のような扱いになる」という日本固有の事情をふくんでおり、それゆえに海外のジェンダー事情より複雑なのではないかとおもいます。
そこを理解しないで一方的に女性の権利の強化ばかり強調する運動が国内でおおいために、男性は社会的に厳しい競争にさらられ、女性にくらべて職にありつけにくい、また女性から年収が低い男性がバカにされる、という現象が起こっているとおもえます。
秋葉原事件の犯人の「女に生まれればよかった」という言葉は、そういう今の国内のジェンダー事情を象徴しているのではないでしょうか。

ちなみに、もやいでも、最近男の権利を守る「男の会」というのを立ち上げたメンバーがいるそうです。前述のように日本では妻が雇用者側、夫が労働者という図式ができやすいので、労働運動と男性の権利擁護の運動が結びつきやすいといえます(海外ではこういう男性の権利擁護の運動は「メンズリブ運動」といわれるそうです。)

蛇足ですが、実は60年代のアメリカの新左翼というのは、一時期「女性差別問題を扱うのはブルジョア的」といって女性解放運動に批判的な時期があり、女性解放運動をやっている女性たちにトマトをぶつけたということもありました。(越智道雄アメリカ「60年代」への旅』(朝日新書)のp231~232参照)。
日本社会で女性が雇用者側になってしまうという現象は、かつてのアメリカの新左翼がいった「女性差別問題を扱うのはブルジョア的」という言葉とシンクロしてしまうのが興味深いところです。

*アメリカの新左翼が一時期女性解放運動に批判的だったことについて触れた過去の日記です。
『男尊女卑を否定するならば』2010/5/2
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61219678.html

*追記:2011/12/2
日本ではフェミニズムというものは「女性が拝金主義に傾倒したり、弱者に冷酷になること」であると理解されていますが、筆者の知人の外国人女性(日本人とニュージーランド人のハーフ)の話では、そういう日本のフェミニズム理解はおかしいとのことです。彼女いわく「拝金主義に傾倒したり、弱者に冷酷になることはフェミニズムとは何の関係もない」といっています。この日本におけるフェミニズムの誤解というのが、日本の特殊なジェンダー事情と融合して、日本のジェンダー問題を複雑にしている要因だとおもえます。

*****(以下、過去の日記の重要記事のリンクです。未読の方は是非お読みください)*****

90年代を頂点にして、日本では欧米文化への誤解から個人主義が左翼思想だとまちがえれられていました。この問題について詳しく言及した親サイトの文章や過去の日記のリンクを張っておきます。未読の方はどうぞ。

*親サイト『ワンダバステーション』『公と個の論争への検証』
http://www.geocities.jp/wandaba_station/koutoko.html

*このブログの過去ログ
2010/4/11『リベラル派の「自由」の意味とは』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61140438.html
2009/8/2『デューイの教育論への誤解?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60088553.html
2009/8/9『前回のデューイの話の補足』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60120442.html
2009/7/18『「住人立ち退き問題」への誤解?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60018587.html

ついでに60年代アメリカのドラッグカルチャーも長らく日本では90年代のロックブームを頂点に誤解されていました。本来はドラッグカルチャーというのは、ドラッグによって人間を人類愛に目覚めさせるという目的でおこなわれていました。このことについて詳しく知りたい方は以下のこのブログの過去ログをどうぞ。

2008/8/2『世界中の神を総動員』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/56109867.html
2009/8/30『永田町悪魔払い?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60213109.html
2006/1/18『サイケデリック・レンジャーズ』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/23741545.html

本サイトでは現在の日本における非モテの問題もあつかっています。
個人的にはかなり決定的な分析ではないかと思っております(笑)。
2010/6/26『非モテ現象の真の原因はこれだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61428868.html

アナーキズムというのも、実はすべて左翼思想ではなく、
右翼のアナーキズムというのもあります。そのことの日記です。
2010/7/11『「空気が読める」は集団主義か?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61483230.html