ニューアカブームは壮大な「ソーカル事件」

さて、お盆休みなのに加え、先週の土日に更新をわすれたので、今回もイレギュラーに木曜に更新します(いつもは毎週土日いずれかに更新)。

みなさんはソーカル事件というのをご存知でしょうか?
ソーカル事件とはソーカルという学者がフランス現代思想っぽい無意味な文章を書いて、それを雑誌の編集者がインチキだと見抜けないまま雑誌に載っけてしまったという事件です。

*参考:ウィキペディアソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/ソーカル事件 #wiki

*参考2:きみはソーカル事件を知っているか?
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html
(↑平凡社『月刊百科』 1998年2月号 No.424、14-15頁、及び1998年3月号 No.425、42-43頁を転載したページ。)

そもそも、90年代日本のニューアカデミズム(ポストモダン=フランス現代思想)のブームそれ自体が大規模なソーカル事件の一種だったんじゃないかと思える昨今です。

90年代のニューアカのブームは、もともと日本の知識人たちが個人主義リバタリアニズムに近いもの)を左翼思想と誤解しており、その思い込みで難解なフランス現代思想の本を読んだためにフランス現代思想を本来の意味とは真逆に誤読したというのが実際ではないでしょうか。

渡辺幹雄『リチャード・ローティ ポストモダンの魔術師』』(春秋社)によれば本来の(アメリカの)デリダ派の左翼というのは「公/私」の二項対立を脱構築して、個人主義を否定するというものです(p242~243、416)。
デリダはフランス現代思想の代表的な哲学者です。)

90年代以降、名を馳せている東浩紀デリダ派のポストモダニストですが、90年代においてこういうこと(「公/私」の二項対立の脱構築)はいっていませんでした。
東氏はいまだにツイッターで「ノージックが好き」(2010/5/24)といっているように個人主義が好きなようです。東氏だけでなく、大方の国内のフランス現代思想系の学者は、海外のフランス現代思想の文献を個人主義のものとして誤読していたのではないでしょうか。
ノージックとはアメリカ政治思想の学者で個人主義リバタリアニズムの代表的な学者)

日本の知識人が個人主義を左翼思想と勘違いしていることの原因は、吉本隆明の影響があるとおもいます。そのことについてくわしく知りたい方は過去の日記『旧左翼と新左翼とは‐暫定版』(2009/4/5)をお読みください。
*『旧左翼と新左翼とは‐暫定版』(2009/4/5)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/58966536.html

また、以前にもふれましたが、誤読ではなく本来ポストモダン哲学というのは新自由主義とつながりのあるものだった、という指摘もあります(新自由主義所得の再分配を否定するという点では個人主義と同義です)。

『理戦』(実践社)no.74の橋本努による『リチャード・ローティ脱構築する』という文章によると「(前略)ポストモダニズムは、現実の社会においては、(アメリカの)80年代の中産階級の豊かな消費生活と連動しつつ、政治的には民営化路線を掲げる新自由主義イデオロギーと結びついてきた。(p69)」とあります。
このように、アメリカではもともとポストモダニズムは「民営化路線を掲げる新自由主義」とむすびついてきたものともいわれています(アメリカの共和党に代表される資本主義の保守主義を「新自由主義」といいます)。

また、近年の日本で対人恐怖(社会不安障害、SADともいう)の患者をなぜか国内のフランス現代思想系の社会学者らが分析し、彼らの誤った分析が日本に定着したのもソーカル事件の一種だとおいます。対人恐怖は精神医学の分野なのに哲学者がそれを分析するというのは根本的におかしいとおもえます。対人恐怖は脳神経伝達物質の異常による脳の障害です。対人スキル不足やナルシズムが原因ではありません。

*参考:『SAD(社会不安障害・社交不安障害)総合情報サイト SAD NET』内の
『治療法について』の『発症のしくみ』
http://www.sad-net.jp/cure/mechanism.html

*このことについて触れた過去の日記です。
『なぜ精神医学の問題を社会学者が分析するのか?』(2010/5/30)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61328350.html

対人恐怖症は、近年ではSAD(社会不安障害)といわれます。かつては神経症といわれた、古くからある精神疾患です。
社会不安障害について医者たちが解説しているHP『SAD-NET』の『よくある質問』によると「SADの症状がひどくなると、公衆の場で話をすることが怖くなり「引きこもり」となるケース」があるそうです。

「SADの症状がひどくなると、公衆の場で話をすることが怖くなり「引きこもり」となるケースやクラスメートの前で赤面やふるえが出て、それが恥ずかしいために学校へ行けなくなり「不登校」となってしまう場合があります。」
(『SAD-NET』の『よくある質問(Q&A)』http://www.sad-net.jp/faq/index.html#q03 より)

あくまで対人恐怖症(社会不安障害=SAD)の症状が先にあり引きこもるのであり、自分から引きこもって対人スキルが不足して対人恐怖症になるのではありません。順序が逆なのです。しかし、国内の大方のフランス現代思想系の社会学者は、精神医学のことは分野外のはずなのに対人恐怖について精神医学についての一知半解の知識で分析し「自分から引きこもって対人スキルが不足して対人恐怖症になる」という俗説を国内に広めてしまって現在に至っています。

ソーカルによれば、ラカンクリステヴァドゥルーズガタリらは、一知半解の科学概念をまったく不適切に援用していたそうです(平凡社『月刊百科』 1998年3月号 No.425、42-43頁より)。90年代から現在における日本で、フランス現代思想系の社会学者が対人恐怖症について誤った認識を日本に定着させてしまったのは、こういうソーカルの指摘するような「フランス現代思想系の社会学者による科学概念の不適切な援用」に相当するのではないでしょうか。

60年代アメリカのドラッグ文化の代表的な詩人、アレン・ギンズバーグは母親が精神病患者だったことから、母のような精神に異常をきたした人間を救済すると決心し「人類に光明を与えると誓った」といいます(『ギンズバーグ詩集』(思想社)のあとがき『「カディッシュ」をめぐって』より(p242))。そうなると精神病の人間の救済はドラッグ文化に通じ「ロックなこと」だと言えるのではないでしょうか。

ギンズバーグが精神病患者の救済を誓ったという事実がありながら、国内の90年代のロックブームの頃は、このことが忘れ去られ、なぜか精神病の人間を「キモイ」と差別することが大流行してしまいました。これは国内の90年代ロックブームがいかに誤解に満ちたものか象徴するといえます。

*****(以下、過去の日記の重要記事のリンクです。未読の方は是非お読みください)*****

90年代を頂点にして、日本では欧米文化への誤解から個人主義が左翼思想だとまちがえれられていました。この問題について詳しく言及した親サイトの文章や過去の日記のリンクを張っておきます。未読の方はどうぞ。

*親サイト『ワンダバステーション』『公と個の論争への検証』
http://www.geocities.jp/wandaba_station/koutoko.html

*このブログの過去ログ
2010/4/11『リベラル派の「自由」の意味とは』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61140438.html
2009/8/2『デューイの教育論への誤解?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60088553.html
2009/8/9『前回のデューイの話の補足』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60120442.html
2009/7/18『「住人立ち退き問題」への誤解?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60018587.html

ついでに60年代アメリカのドラッグカルチャーも長らく日本では90年代のロックブームを頂点に誤解されていました。本来はドラッグカルチャーというのは、ドラッグによって人間を人類愛に目覚めさせるという目的でおこなわれていました。このことについて詳しく知りたい方は以下のこのブログの過去ログをどうぞ。

2008/8/2『世界中の神を総動員』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/56109867.html
2009/8/30『永田町悪魔払い?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60213109.html
2006/1/18『サイケデリック・レンジャーズ』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/23741545.html

本サイトでは現在の日本における非モテの問題もあつかっています。
個人的にはかなり決定的な分析ではないかと思っております(笑)。
2010/6/26『非モテ現象の真の原因はこれだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61428868.html

アナーキズムというのも、実はすべて左翼思想ではなく、
右翼のアナーキズムというのもあります。そのことの日記です。
2010/7/11『「空気が読める」は集団主義か?』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/61483230.html