ウルトラマンレオ1974の付属DVDについて

さて、連休なのに洗濯機はこわれるし、ついでにパソコンも壊れるしという踏んだりけったりの日々がつづいていますが、いかがおすごしでしょうか?(ゴーオンジャー仮面ライダーキバはみたでしょうか?読んでからのお楽しみ)。

前回でふれた史上2つめのレオ単独商業誌『ウルトラマンレオ1974』ですが、この付属DVDについて前回ふれてなかったので補足します。

買った直後はなんとなく見る気が起きず、こないだ恐る恐る見たんですが、やはり森次晃嗣は呼ばないほうがよかったようにおもいますね。
円盤生物シリーズでは、一応ハングラーの回でゲンがダンのことを語っているし、最終回でもセブン(変身後)がでてきて「沈む夕日は私だ。明日上る朝日は、レオお前だ」という1話のセリフに似たセリフを語る場面とかあるのに、森次氏はそういうのを知らないで、円盤生物シリーズにちょっと批判的なことをいっていますね。

レオの円盤生物シリーズでは、降板したレギュラーについてゲンやトオルが話題にしたり、死別した悲しみを引きずっているという描写が一応あるので、この点では一時期『新マン』を超えていた、という評があったぐらいなんですけどねえ。

トオルが亡くなった妹への思いを引きずっている話としては、ブリザードとノーバの回が代表ですね。
とくにノーバの回は、第三期ウルトラブームの火付け役を担ったケイブンシャの『ウルトラマン大百科』の「うらばなし」のコーナーでも、「ノーバの回の心理描写はまたとない出来」という評が載っていたぐらいでした。
あと、最終回でも、百子がよく行っていたという伊豆半島の海岸にゲンとトオルがでかけようとするというシーンがあります(ラストでトオルがヨットを見送る海岸というのも、この伊豆半島の海岸なんでしたっけ?)。また、ゲンが百子とカオルの写真をみながら「もうこれ以上愛する人たちを傷つけてはいけない」と心のなかでつぶやく(モノローグ)場面もあります。

ウルトラマンレオ1974』の付属DVDの出演者たちのトークを聞いていると、真夏竜自身がこういうことを完全に忘れちゃってるみたいで、それも少々疑問に思ってしまった。わすれたまま必死に「気持ちのうえでは、死んでいったレギュラーたちへの悲しみを引きずっていこうとトオル役の新井つねひろと話した」とフォローしていましたけど。

前述のハングラーの回(46話)は、ゲストのジュンペイとジュンジの兄弟に、ゲンはかつての自分とダンを重ねており、それゆえにこの兄弟に肩入れしているという話です。

この回では「僕にも君のお兄さんみたいな、怖いけどとってもやさしい兄貴みたいな人がいたんだ…でもその人は、円盤生物におそわれて死んでしまった。だから、なんとしてもこの手で円盤生物を倒したい」というゲンの台詞があります(Bパートの最初のほうで、ゲンがおにぎりをジュンジに届けにいく場面)。

この台詞は、ゲンがジュンペイとジュンジの兄弟に、かつての自分とダンを重ねていることをあらわしている台詞でしょう(この台詞のあとで、ゲンがジュンジに向かって「君が悲しい顔をしていると、僕まで悲しくなるよ」というのですが、この台詞もゲンがジュンジに自分を重ねていることがわかるセリフである。)。

この回では、ゲンがジュンペイとジュンジの兄弟に世話をやくのは、かつての自分とダンをこの兄弟に重ねていて感情移入しているからなのですが、それだけではありません。ゲンがおにぎりをつくっているときに、横で美山咲子が亡くなった夫の座右の銘が「汝の隣人を愛せよ」だったと語っており、この美山咲子のセリフのおかげで、ゲンの一連の行動は同時に隣人愛の意味も持たせています。

この回ではラストにアストラが登場し、ここでジュンペイとジュンジの兄弟は、レオとアストラの兄弟とも重ねられています。この回のゲストのジュンペイとジュンジの兄弟は、ドラマの中身的には、ダンとゲンをダブらせてられていますが、ラストではレオ兄弟ともダブさせらており、、2重の意味づけをされている兄弟だといえます。

本当は、ベンサムの予定調和説について書こうかとおもっていましたが、『ウルトラマンレオ1974』のDVDについて色々いいたいことがあったので、後回しにしまいた。明日も休みですんで、時間があったら明日にアップしましょう。

補足:資本主義と社会主義の折衷的な「福祉国家」の成功例であるデンマークは、は雇用政策が進んでいて、ニート・フリーター問題の解決のヒントがあると思えます。デンマークの雇用政策にくわしく知りたい方は以下の日記をどうぞ。
『現実的な社会変革』(過去の記事です)
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/55262715.html