光子ロケットは個人的な目的ではつかわないんですよ!

さて、最近またまた久々に『シルバー仮面』の第二話をみかえましました。この2話の冒頭で春日光三が「光子ロケットで親父の仇の宇宙人を倒してやる!」というと、それを聞いた春日光一が「光子ロケットは一個人の恨みを晴らすような小さな目的ではつかわないんだ」とたしなめます。
さらに、光一は地球人を信用しないギルギス星人に対しても「光子ロケットは宇宙の平和のためにしかつかわない」と宣言します。

このように、光子ロケットは宇宙の平和のためにつかい、個人的な目的でつかわないということを番組のなかではっきりと説明している点も、『シルバー仮面』のドラマで注目したいところです。

また、6話のゴルゴン星人の回でも、春日兄弟は「(侵略)宇宙人の脅威から地球人をまもるのが父の遺志だった」といって、人質になった人間(星人に発明を売ろうとしていた南条という科学者)を助けにいきます。この台詞も「人類をまもる」という人類愛を意味することばです。この回は、春日兄弟は人類愛で行動していることをものがたる話です。

こんど出る『シルバー仮面大図鑑』というDVDは、ちゃんとこういうことを踏まえて番組の内容を解説してくださいよ! 前回の日記でも触れましたが、『シルバー仮面』にでてくる宇宙人は1話のチグリス星人に代表されるように「光子ロケットを奪って宇宙征服する」のが目的で攻めてくる宇宙人が大半なんですよ! 当時の関係者の方々も、こういうことを勘違いしたり忘れないように。

話は変わりますが、最近マスコミで、過去の犯罪の発生件数のデータかなんかをもちだして「少年犯罪は増加していない」というようなことをいう論客がでてきましたが、はたしてどうでしょうか。
データによると、60年代のほうが現在より少年犯罪がおおいそうです。こういうデータを持ち出して「60年代にくれべれば、最近の方がすくない」ということを根拠に「少年犯罪は60年代にくらべれば大したことないんだから気にしない」ということをいいたげな意見をいう人がおおいですが、一番問題なのは、なんでずっと60年代から減少傾向にあった少年犯罪が、90年代の後半から増え始めたのかということです。

たとえば、以下のサイトにはこんなことがかいてますが…。
『少年犯罪は急増しているか』
http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html

「(少年による「凶悪犯罪合計」のグラフについての解説)これを見てみると、少年による凶悪犯罪は1958年から1966年までがピークで、それ以降は急激に減少していることが分かります。1997以降増加している傾向は見られますが、長期的には低水準を維持していることが分かります。(上記HPより)」

上記の記述では、「長期的には低水準」ということを根拠に、あたかも少年犯罪は増えていないみたいな論調でかいてますが「1997以降増加している傾向は見られますが」とあるように、やはり増加傾向にあるのは事実なのです。60年代のようなことにならないように気を付けなければという話なのに、「60年代にくらべれば大したことないから少年犯罪のことは忘れよう」みたいな論調はどうでしょうか。

で、本ブログ「ワンダバステーション・日記帳」の親サイト「ワンダバステーション」がまだブログになるまえの日記に少し触れたことがありましたが、実は60年代はニーチェブームが文化人達の間でおこっており、これを皮肉ったのが筒井康隆の「火星のツァラトゥストラ」なのです。当時も文化人たちがマスコミなどでニーチェ主義的なことをよくしゃべったのではないでしょうか。やはり犯罪の増加とニーチェとは、関係があるようにおもえてなりません。

23日に茨城県土浦市のJR荒川沖駅で8人殺傷した事件の犯人(金川真大)は、「自分が神を超越」というニーチェの権力意志とそっくりなことをメールで書いていたという報道が複数ありました。このこともニーチェと近年の少年(この事件の犯人は青年ですが)犯罪の増加の原因が関係があるとおもわせる情報です。

この茨城の荒川沖駅で通行人を刺した犯人とか、岡山の突きおとし事件の両方に共通するのは、殺す相手は誰でもよかったという点です。
これはやはり、90年代から現在まで、「あなたの大切な人を守りましょう」などといって、仲間うちの人間だけ守るという考え方を市民に文化人やマスコミが刷り込んだために、通行人のような「仲間うちではない人」は殺していいんだ、という考え方が潜在的にあったために、通行人を無差別に殺すという犯行に及んだと考えられますがどうでしょうか。

60年代のニーチェブームというのは、あまりアニメや特撮ものなどの子ども番組のなかでは反映されていなかったようにもおもいます。
しかし、ひょっとすると、初期ウルトラに何本かあった、ニーチェイデオロギー批判に曲解できそうな話(この場合のイデオロギーとは、資本主義=ブルジョアイデオロギーを除外したもの)のいくつかは、そういうニーチェブームを反映した作品だったのかもしれません。

こういう「ニーチェイデオロギー批判に曲解できそうな話」は、今現在において切通理作あたりが絶賛して、ウルトラシリーズを代表する傑作という評価をえている作品だったりしますが、こういう作品のいくつかは、60年代の国内の知識人たちにおけるニーチェブームを反映した作品であったのかもしれません。

個人的に最近ひっかかるのは、『セブン』のギエロン星獣の話ですねえ。この話では、核軍拡の原因が、いわゆるニーチェ的なイデオロギー批判に近いものとして説明されているようにおもえる話です。

しかし実際は、核軍拡の原因は軍産複合体による利益追求によるものとしてみるのが、本来の左翼のロジックによる核軍拡への批判です。『セブン』のギエロン星獣の回において、こういう視点が欠落しているのは、実はけっこう問題ではないでしょうか。

長崎新聞のHPの『ナガサキ・ピース・サイト』の2001年11月6日の記事『2001長崎の論点・アフガン攻撃の陰で進行する核危機 』によれば核武装軍需産業の利益追求によっておこるそうです。

この記事において土山秀夫長崎大学長は、ブッシュ政権が2001年1月の発足以降、核軍縮に逆行する動きをみせていることについて「大統領と核兵器の開発、製造を行う軍需産業との強い結び付きがある」ためといいます。

*『ナガサキ・ピース・サイト』の2001年11月6日『2001長崎の論点・アフガン攻撃の陰で進行する核危機 』
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kiji/11/0602.html

また、このアメリカの核軍拡についてふれた本としては、産軍複合体研究会/著『アメリカの核軍拡と産軍複合体』(新日本出版社)もあります。

*追記 3/30
こういう「あなたの大切な人だけを守りましょう」というのは、近年では平成の仮面ライダーシリーズを中心に子ども番組にまで導入されて、これが常態化しています。今やっているものでは唯一ゴーオンジャーがまともかとおもわれますが、遠まわしに「あなたの大切な人だけを守りましょう」というメッセージを送っているも話もあり、いまだ不安定な番組といえます。

また、『時計じかけのオレンジ』の原作に、映画にはない幻の最終章があるのをご存知でしょうか。知らない方は以下の文もぜひおよみください。
*『幻の21章をもとめて』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/53921891.html