幻の21章をもとめて

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さて、ひさびさの土曜以外の日の更新です。
このサイトでは、たちあげた当初から、少年犯罪の増加についての分析をおこなってきました。
筆者は、少年犯罪の増加は、90年代に言論人たちがニーチェ的なニヒリズム(犯罪の肯定)をかたってきたことが少年に影響をあたえたとして、一貫してこの問題を批判してきました。

ニーチェ的なニヒリズムが、少年犯罪の元凶になる根拠として、映画『時計じかけのオレンジ』によって、実際に犯罪がおこったことを紹介しました。この『時計じかけのオレンジ』という映画も、おもに90年代から現在まで、その作品のなかで言わんとしているテーマが誤解されていたとおもえます。もっとも、誤解をあたえやすい描き方をしているという点では、この映画自体にも問題はあるでしょう。

というのも、この『時計じかけのオレンジ』の原作者アンソニー・バージェスは、映画版の出来に満足していなかったからです。

実は『時計じかけのオレンジ』の原作の小説には、なぜかアメリカ版でのみ削除されている21章が存在します。この21章は最終章ですので、ラストシーンが削除されたままアメリカでは出版されているということになります。そして、映画版はラストシーンが削除されたアメリカ版をもとに製作された映画であり、それに原作者バージェスはかなり疑問をもったそうです。

この最後の章では主人公の若いアレックスは成長し、暴力を時間の浪費だったと反省するようになり、結婚して子供をもうけ、作曲家になろうと考えるようになるそうです。ところが映画では暴力はまたまたくり返されるような暗い印象になっています。

この話は、最近判明した新事実でもなんでもありません。ただ単に、90年代以降のマスコミに登場する文化人たちが、このことをわすれているか知らないだけなのです。
80年代に日本ででた『アントニイ・バージェス選集版(2巻)時計じかけのオレンジ』には21章が収録されています。そして映画の出来にバージェスが満足していなかったことも、この『アントニイ・バージェス選集版(2巻)時計じかけのオレンジ』のあとがきにかいてあります。

(後日追記:この『アントニイ・バージェス選集版(2巻)時計じかけのオレンジ』は、現在は表参道のカフェ「ストア」でよめます。画像は筆者が「ストア」で撮影した現物です。)
*カフェ「ストア」
http://store-info.jp/

さらにいえば、今日本ででているハヤカワ文庫から発売されている『時計じかけのオレンジ』の原作小説の単行本のあとがきにも、この事実は書いてあるそうです。このハヤカワ文庫版は、映画の原作ということで、21章が削除されているそうですが、あとがきではふれられているようです。

*これらの情報のソースは以下のページ。
『情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明』
http://d.hatena.ne.jp/soorce/20070105#p1
時計じかけのオレンジ翻訳』
http://www.geocities.jp/horrorshowguilty/cw21/cw21j.html

また、ウィキペディアの『時計じかけのオレンジ』の解説にも、このことがかかれてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E8%A8%88%E3%81%98%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8#.E5.89.8A.E9.99.A4.E3.81.95.E3.82.8C.E3.81.9F.E7.AB.A0

あと、ハヤカワ文庫版ではないですが、今でている『時計じかけのオレンジ ペンギン・ミューズ・コレクション 原書で楽しむ英米文学シリーズ (単行本) 』にも、この最終章ははいっているそうです。これは現在でも入手できる唯一のものらしい。

原作者バージェスの意図としては、この『時計じかけのオレンジ』は、犯罪者を改心させるにしても、洗脳まがいの強引なやり方でやるのは犯罪者の人権を侵害している(少年を死刑にしているのと同じ)、というテーマの作品として書いたものだったようなのですが、それが「犯罪を称揚している内容」として誤解されることが多いというのが実情のようです。

映画版の監督のキューブリックは、この映画の上映をイギリス本国では禁止するように申しでて(映画版はイギリス映画だが、なぜかアメリカ版の小説をもとにしたらしく、最終章がカットされた状態で作品になってしまった。)、亡くなるまでイギリスでは公開されなかったそうです。こういうことも、日本の多くの市民はしらないでしょう。キューブリック本人がこの映画の上映を亡くなるまで禁止しつづけたということからいっても、キューブリック自身が、この映画のメッセージの描き方に「紛らわしい部分がある」ことを、おおむね認めたといっていいでしょう。

今、ここに書いたことも、90年代の日本マスコミの重大な見落としだといえるでしょう。こういうことを、なんぜ映画秘宝のライターとかは、ぜんぜん書かないで、いまだにこの作品を「殺人を称揚する映画」としてもてはやしているのかわかりません。今でている『ハイパーホビー』にも、この映画を「傑作」と手放しでほめていますが、どういうことなんでしょうかねえ。

 

(13年後の追記 2021年5月25日)
実在した連続殺人鬼を描いた映画『テッド・バンディ』の監督ジョー・バリンジャー氏も、行き過ぎた個人主義は犯罪の原因になると述べています。
参考↓『【重要】「個人の自由の行き過ぎ」が犯罪の原因になる』(

wandaba2019.hatenablog.com



*追記:後日の日記で、このことについてくわしくふれました。
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/54076143.html

*少年犯罪についての意見をまとめました。
ニーチェと少年犯罪についての一考察』
http://www.geocities.jp/wandaba_station/niitye.html