7/22ウルトラマンメビウス雑感

う~ん、今日のは微妙な感じでしたねえ。映像的には凝ってたけど、やはり「好きな人を守る」系のテーマに話をもっていこうとした形跡がありましたね。はっきり台詞としてはなかったですが、映像的なニュアンスとしてはそういう感じになってしまってたのは残念でしたね。

先週と今週の間に、精神的に準備はしていたんで、そんなにショックではないですが、「はやり…」という感じでしたね。来週はサラマンドラがでるけど、もうかなり今週で萎えちゃっているんで、来週以降はみるかどうかわからないなあ。

よく考えれば、『ウルトラマンダイナ』のレイキュバスの話を、親サイト『ワンダバステーション』であんなにほめるべきではなかったな。筆者自身も、じつはあの時期はブルジョアイデオロギーに感化されかかっていたんですね。『ダイナ』もあの話以外はそうでもないんですが(あの話と、あの回で劇中で歌ってしまった初期エンディングの歌詞も問題だった)。あの『ダイナ』の評も、こんど実家に帰る機会があったら削ろうかどうか考え中です。

今週のメビウスは、物語の中盤までは、GUYSのメンバーが利他的な目的のために隕石を撃墜しようとしていたり(「日本の運命が~」という台詞がちょっとひっかかったけど。あの状況では日本以外でも被害はでるんじゃないかなあ?)したところはよかったし、ザムシャーが「地球がどうなろうと知ったことか」といったりしたあたりでは『アバレンジャー』中盤を彷彿とさせる個人主義ニヒリズム)批判をおもわせて「おお!」とおもったんですが、最後の最後でその辺のテーマに疑問符がついてしまった。

そりゃ私的な目的もあってもいいけど、それだけを目的にするというのではなく、公的な目的とうまく両立させるというのが本来だとおもいます。いままでの変身ヒーローものはちゃんとその辺を描いていたのでよかったのに、最近そのラインを映画人たちがなぜか必死で崩そうとしているのはやはり疑問におもいます。
(かつての変身ヒーローは、個人的な目的と公的な目的がどうしても両立できないときは公的な目的の方を優先したが、公的なものを優先するのが本来の左翼的なスタンスでもあるのでそれもよかった。以前このサイトで例に出したアメリカのリベラル派の消費者運動家ラルフ・ネイダーは「自分には私生活はなく公的生活だけだ」といいきるんだそうですからね。)

あと、最近『ウルトラマンレオ』のDVDの告知映像がネットでみれますが、これもなぜか新録ナレーションで「愛する人をまもるため~」という台詞がついている。ひょっとして、いままでの円谷プロのやり口からすると、『レオ』DVDのライナーで、『レオ』を強引に個人主義的な作品と解釈して(また関係者にそういうことをいっぱい言わせて)ウルトラのファンをすべて個人主義へ転向させようとしているのではないかとかんぐってしまった。そうなったら『レオ』DVDはライナーは捨てるしかないなあ。

日本の映画人が個人主義固執するのは、まだ「共産圏はすべて失敗したから」とおもいこんでいるためなんでしょうかねえ。映画人は福祉国家というのが事実上の社会主義であり、そのうちスウェーデンデンマークは成功しているということをいまだにしらないのか?それとも理解できないのか??
(そのうえで、オタクは視野が狭いなどと馬鹿にしてくるんだからたまらない)

歴史は「奴隷制封建制→資本主義」という段階にすすみました。大概日本のメインカルチャーや、それの影響をうけた義務教育の教育者は、ここまでしか教えないでおわってしまうので、アメリカの右翼というものを多くの日本の市民が誤解するのでしょう。

共産主義者たちは、そのあとにさらに歴史が「資本主義→社会主義共産主義」と進むと考えました。
今のアメリカにおける右翼と左翼とは、資本主義が右翼であり、社会主義共産主義が左翼であり、右翼が共和党(ブッシュ)政権、そして左翼がヒッピー文化やドラッグカルチャーなどの運動につながっているのです。
(さらに追加すれば、共産主義者奴隷制の前段階に原始共産制の段階が存在するとします)

スウェーデンの中学教科書『あなた自身の社会』(新評論)では、プールがコミューンの補助料金によって割安になっているという例をだして、ちゃんと資本主義と社会主義との違いを対比的に論じている部分がありますね(134ページ)。僕が中学のときはこんなこと全然おしえてくれなかったなあ。

このスウェーデンの教科書は『あなた自身の社会』という題名がちょっと個人主義的な感じがしますが、社会保障についてはもちろん中心的話題として触れていて社会保障を「全ての人々に公平と安全を与えるもの(138ページ)」としています。この本については、また次の日記でいろいろふれたいとおもいます。