ウルトラマンメビウスvsウルトラ6兄弟

さて、みなさんいかがおすごしでしょうか。
筆者は大阪で一度やくざに殺され、改造人間になって生き返ってきました。

そんな、脱力感あふれるボケはともかく、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

新年のご挨拶として、某同人誌の編集Sさんからメールをいただきましたが、なんと来年の新作ウルトラの情報もくださいました。
来年のは「ウルトラマンメビウス」で、今度は第二期の怪獣も再登場するそうです。さらに、夏の映画は『ウルトラマンメビウスvsウルトラ6兄弟』だそうで!ウルトラ兄弟が久々に復活するらしいです。

筆者としては、歴代のウルトラマンを再登場させる必要はなく、ただ、第二期ウルトラから発祥した「ブレスレット型の武器」「女性のウルトラマン」「ウルトラマンの家族(なるだけ非血縁)の設定」といった要素を新作ウルトラに反映させてほしいと希望していただけでした。しかし、それをいい意味で裏切って、ついにゾフィからタロウまでのウルトラ兄弟を復活させるとは、恐れ入りました。
(実はこの情報をくれたSさんは、あくまで旧作のウルトラ兄弟を出すことにこだわっていたので、Sさんの希望が反映された新作というべきでしょうか。もちろん筆者も旧作のウルトラ兄弟を出してくれるに越したことはない)

しかし、スタッフは、監督が小中和哉、脚本が長谷川圭一なんだそうで、この2人は第二期シンパではないから、ちょっと不安ですねえ。まさか、ウルトラ兄弟が「コスモス&ジャスティス」のジャスティスの役回りなんていう最悪のシナリオでないことを祈ります。(ただ、某サイトでは「ウルトラマンメビウス&ウルトラ6兄弟」としているので、「vs」ではなく「&」ならその可能性は低そうです)

撮影現場も第二期が好きなんていうスタッフはいなさそうですからねえ。みんな嫌がっている可能性もあり、過剰な期待はしないほうがいいかも?しれませんね。
仮に傑作に仕上がっても、ゴジラ・ファイナルウォーズみたいに、ネット上や商業誌の評論家からたたかれて不入りになる可能性もあります。

今はなき『宇宙船』(朝日ソノラマ)に関わっていたライターたちなんかもボロクソにいいそうですねえ。
思えば、宇宙船のライターたちは、国産のSFテレビの最高傑作はウルトラセブンであり、地球規模でのSFテレビの最高傑作はスタートレックであり、これらの作品に近いものを「名作」と評価し、遠いものを「駄作」という評価をくだしてきたようにおもいます。
しかし、こういう評価は、以前この日記の『第二期ウルトラ美術のポストモダニズム』で書いたように「形而上学の影響下にある芸術批評」の典型のようにおもいます。ようするに宇宙船のライターたちにとって、セブンとスタートレックは「形而上学的なイデア」であり、これにより近いものが「よい芸術」になるのです。
これは、インデペンデント・グループが指摘したように、西洋の形而上学プラトン主義)の影響がみえかくれするために、脱構築しなければならないのです。宇宙船ライターはよく、欧米で通用するかどうかを、国産SF作品の評価の基準にしますが、こういうのも西洋中心主義なので脱構築しなくてはいけない。

ヒッピーたちが起こしたカウンターカルチャーというのも、白人が自分たちで西洋中心主義的な価値観をみなおそうという運動であり、そのため、ヒッピーは仏教や禅、ヨガなどの東洋の文化に関心をもったのです。よく考えると、70年代におこったブルース・リーのブームというのも、そういったカウンターカルチャーの流れを汲んでいるようにおもえますね。そうなると、そのブームを取り入れた『ウルトラマンレオ』ははやりカウンターカルチャーの流れを汲んでおり、70年代的なウルトラマンだったといえそうです。