ジャイアントロボ売ります!

前回の日記でかいたように最近『赤影』DVDをみたら以前ビデオソフトで見たときより画質がよくて印象が違って見えて面白くかんじました。なので同時期の『ジャイアントロボ Vol.1』のDVD(1話から13話まで収録)も買ってみてみました。そしたら、こっちはなぜか昔のビデオソフトと同様に画質が荒い~。これはどういうことなんだろう?

ジャイアントロボ』は『赤影』と使っているフィルムの種類が違うんでしょうかねえ。そのため劣化がはげしくて修復不能なのか。本当は『ジャイアントロボ』は『赤影』より製作年度は少しあとなのだが、DVDでみくらべると、『ジャイアントロボ』の方が『赤影』より遠い昔の作品にみえるぞ。

まあ、こういう懐かしの番組の映像は、変に最新技術で修正して画質をきれいにしてしまうより、昔の少々荒い画質のままの方がレトロな雰囲気が楽しめていいという人もいるかもしれず、筆者にように画質が美しく修正されていることを期待して購入する人間なんて珍しいかもしれません。なので、これはこのままでいいのかもしれないなあ。でも筆者としては期待はずれで買ってちょっとがっかりしました。

この『ジャイアントロボ Vol.1』DVD、もういらないから売っちゃおうかなあ。と、ここまで書いて思いついたのですが、このサイトの読者で『ジャイアントロボ Vol.1』がほしいという方がいらっしゃったらお売りしたいのですが、もし買いたいという方がいたら、プロフにあるヤフーメールあてに連絡ください。値段は希望価格8000円ですが、相談に応じて負けます(少しネ)。以上よろしくおねがいいたします。

話はかわって、前に9月10日の日記でポストモダン美術について語ったときがありました。このとき、『デザインの現場』という雑誌の海野弘のエッセイを引用しましたが、このエッセイは単行本『モダン・デザイン全史』(美術出版社)に、そっくり採録されています(p405、406)。もしご興味のある方は図書館や書店で読んでいただければ幸いです。

このポストモダン美術が成立する過程でポップアートの作家たちから生じた「よい芸術という絶対的な根拠はない」「芸術の価値は社会的条件やパラダイムによって生じる」という考え方は、なぜか今の日本のマスコミではオミットされれていて、時代に逆行するように、芸術作品の価値がどんどん絶対化されていくのはなぜなんでしょうか。

これはつまり、不人気の作品を好む人間がでてくると、それによって業界内で作家たちが形成するヒエラルキーが崩壊するからなのでしょうか。ようするに、不人気の作品をつくっている作家(ここでは広義に、映画監督や脚本家も作家にふくむ)は当然、業界内での評価も低いので業界のヒエラルキーの底辺にいる作家なのですが、かれらの作ったものを評価する人間がでてくると、それまでヒエラルキーの底辺にいた彼らがヒエラルキーの上辺にいき始め、下手をすると下克上ということもありうる。なので、業界は不人気の作品をことさらに酷評して価値を絶対化していっているのではないでしょうか。

筆者は常々マスコミ業界はいまや政府よりも市民に影響力をもつ権力だとかいてきましたが、そういう「マスコミ国家」にとって、不人気の作品を評価することは、一種の「政治犯」なのではないかとおもいます。なので、不人気の作品にハマる人間を「オタク」などという差別語で社会から葬らなければならないのではないでしょうか。