理想の最高税率とは

前回の日記で、ようやく民主党政権が、裕福層への増税にのりだしたことを取り上げました。この前回の日記は、説明不足というか、こういう問題について詳しくない人に分かりにくい内容になった可能性があるために、今回はイレギュラーで火曜に更新し、もっと分かりやすい解説をしようとおもいます。

*未読の方はどうぞ
2010/2/27『ついに裕福層増税への動きが!』
http://blogs.yahoo.co.jp/wandaba_station/60975082.html

前回の日記では、2月19日の各報道機関の報道で、菅財務相は19日の衆院財務金融委員会で、所得税最高税率の引き上げを検討するとのべました。

*参考のニュース
最高税率上げ検討=所得税改革で-菅財務相』(2010/02/19 時事通信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201002/2010021900459
所得税最高税率引き上げ検討 菅財務相が表明』(2月19日 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100219-00000580-san-bus_all

ここでいう、最高税率というのは、(平たくいえば)もっとも所得の高い人に課せられる税金の税率です。現在の日本では、最高税率は40パーセントです。
その反対に、最低税率というのもあります。これはもっとも所得の低い人に課せられる税金の税率で、現在の日本では5パーセントです。

所得税最高税率があがれば累進率はあがり、最高税率がさがれば累進率はさがるということになります。つまり累進率があがれば裕福な人間が高い税金を払うことになり、その税金が社会保障の財源になることで、貧しい人たちへ分配されるということになり、所得の格差は是正されるということになるのです。

この所得税の問題は所得の再分配に直結する問題です。所得の再分配は、リベラリズム社会主義共産主義)の第一目的といえます。所得の格差による階層を解消するのが、社会主義の本来の目的ですから、この所得の再分配は、左翼思想というものを考えるとき、もっとも根幹にある問題といえます。

にもかかわらず、日本で左翼を自称する文化人(知識人)たちは、この所得の再分配所得税の累進率の問題を、なぜかほとんど口にしません。これは異常この上ないことです。格差問題というのも、本来はこの問題を語らなければ何も始まらないとすらいえるのに、この問題が無視されつづけているのです。

これはやはり、日本の文化人たちは印税やテレビ出演などで荒稼ぎしている裕福層の人間たちであり、そういう自分の財産を失いたくないために、話題をそらしてごまかしているとしかおもえないのです。

基本的に、長らく日本では最低税率はほとんど変化がないのですが、最高税率は、段階的に下げられており、1974年の佐藤内閣時からくらべれば、相当低くなっています。

このことについて、インターネット新聞JanJanの記事に興味深い記事がありました。
『消費増税は誤り 格差解消は所得税の累進性復活で実現できる』 (赤松峰男 2008/09/25 インターネット新聞JanJan
http://www.news.janjan.jp/government/0809/0809237953/1.php

この記事には、日本の所得税の累進率がどのような変遷をたどったかが分かりやすくかかれています。

注目しなくてはならないのは、池田内閣時には最低税率は8パーセント、最高税率は75パーセントであり、そのあとの佐藤内閣では最低税率は10パーセント、最高税率は75パーセントという、過去の事実です。

そして、この「池田・佐藤税制」こそが、上記のJanJanの記事にあるように「一億総中流を実現させた」のです。このことはきわめて重要です。
最高税率は75パーセントは高すぎ、と思われるかもしれませんが、実はかつての日本はそういう税制だったのであり、この税制こそが「一億総中流」を実現させたのです。ならば、格差社会の改善するためには、この時期の所得税の累進率に戻すより他ないでしょう。

筆者としては、もっと極端に、年収300万円以下の人間たちからは税金はとらず、年収300万から上からを段階的に課税する、なんていうことを考えていたりします。
が、とりあえず、かつての日本に一億総中流をもたらしたといわれる上記の「池田・佐藤税制」(つまり最低税率は10パーセント以下、最高税率75パーセント)を、格差社会の改善の方法の第一の手段として、まずは実行しなくてなならないでしょう。

*追記(2010/5/14)
消費税ですが、海外では生活必需品の消費税は低くするのが普通です。例としてスウェーデンの消費税は生活必需品以外が25%ですが、 生活必需品は12%若しくは6%です(スウェーデンなでは付加価値税と呼ばれます)。

話はかわりますが、先日のゴセイジャーは後半からみました。一応チームワークの話で、後半をみた限りでは、とくに変なぶちこわしもなくて、いい話だったみたいですね(毎年、3話あたりから怪しくなってくるからなあ)。
それぞれの個性を生かしたチームワークというのを目指すということでしょうか? 90年代国内マスコミの「公と個の論争」以来、なぜか「チームワークは個性を否定する」とか言い出す人たちが大挙して出てきたのが不思議ですね。個性を生かしたうえで連携プレーをするということはそんなに難しくないでしょう。現に社会のなかで分業するときは、それぞれ得意分野を生かして分業をするというのが普通だとおもうのですが。

特撮は戦隊ではめずらしい雪の特撮でしたね。しかし、また高いアングルのカットがおおかったのは気になる。もっと低くできないものかなあ(足ナメはあったけど)。