ゴーオンジャー2話雑感

こういうタイトルをつけるのも何日ぶりでしょうか。こちらが先週予想していたことが、いい意味でうらぎられました。ちゃんと世界をすくうという台詞もあったし、面識のない人間を救助する場面もたくさんあって言うことなしでした。

今回はなかなか楽しめましたね。怪人がでると名前をメモるとか、Aパート終了直前のブラックが真顔で「あいつら、かっこよすぎる」というシーンとか、ギャグもさえてました。

ただ、ボウケンジャーで痛い目にあっているので、このまま最終回までいけば傑作なんですけど、また途中で転向する可能性も高いんで、今のところ距離をおいて見ることにしてます。
いままで、散々番組のなかで仕返しまがいのことをやったスタッフが続投で作っているんで、正直信用できないというのが本音です。

自分への仕返しをやった作品が、そのままDVDになって今も売られているのを見かけるときの、なんとも気分の悪い感じというのは、おそらく、そういう目に自分があってみなければわからないものでしょう。製作者側は、いままで自分がそういう目にあっていないので、こういうことを書いてもおそらく「たいしたことないじゃないか」とか開き直るのかもしれませんが。

脚本が武上純希なんで、あきらかにウルトラマンティガのキリエル人の話のオマージュみたいな部分がありました。ヒーローをねたむブラックの台詞とかがそれですが、こういうところも不安材料ですねえ。まだ切通理作との親交がつづいているみたいで、平成ウルトラの最初の3本(ティガ、ダイナ、ガイヤ)をひきずっている感じですねえ。

ただ、ゴーオンジャーの最初の3人が選ばれるきっかけになる出来事というのは、なんとなく新マンの1話を彷彿とさせましたね。面識のないサーキット会場の人たちを主人公たちが避難させているのはよかったです。

新マンの1話で郷秀樹がウルトラマンに選ばれる理由というのも、面識のない子どもと動物を怪獣から救おうとして命をおとしたからで、こういうことからも、郷秀樹は最初から人類愛にのっとった行動をしています。
グドンツインテールが登場する話では、アキが重傷をおって瀕死の状態になったとき、郷は最初こそ「アキのそばにいたい」といってMATの任務を放棄する態度をとります。が、それを上野隊員やアキ本人からさとされて、最後には市民の生活を守るために、MATの作戦に参加します。

この辺の展開は、郷秀樹が「市民を守る」という公的なことを「アキを看取る」という私的なことより優先したといえる展開であり、こういう展開からも、やはり『帰ってきたウルトラマン』というのは最初から個人主義の作品ではなかったといえます。話のラストでは、アキは奇跡的に回復し、郷の私的な部分も公的な部分も両立されるのだが、この展開もいいですね。
(ある意味、このグドンツインテール編の展開は、『傘がない』の歌詞と間逆の内容だったといえます。)

新マンの1話では、ラストで郷秀樹と新マンとの会話で「人類の自由のためにがんばろう」という決心を両者がかためていて、この台詞は番組の最初からウルトラマンと郷秀樹の行動原理が「人類のため」であることが作品のなかで明示されているといえます。
それなのに、なぜ切通理作は3クールまでの新マンは「アキを守るために戦っていた」とか、変な解釈を加えるのかわかりません。現にアキが登場しない回とかアキが事件に絡まない話が多いのに、なんでこういう解釈がまかり通るでしょうか。

こういう新マンという作品の反個人主義的なドラマのスタンスは『星空に愛をこめて』のルミ子の台詞「宇宙に住んでいる人たちがみんな友達になれるときがくる」という台詞において「宇宙的人類愛」にまで昇華して結実するといえましょう。

さて、あまり関係ない話題にシフトしますが、昨日の朝日新聞の内容は奇奇怪怪でしたね、なぜか社説で天皇家をほめていて、そのうえで、今のアメリカの大統領選(予備選挙)のヒラリーとオバマの対立についての記事で、社会保障を重視するのが古い考えであるかのような書き方をしており(7面)大変ひっかかってしまいました。封建制と資本主義を同時に称揚しているように読めるもので、こういう今の朝日の政治的スタンスの支離滅裂さはなんなんでしょうか。
あたかも封建主義と市場原理主義を同時にやろうとした安部政権のデタラメさとそっくりではないでしょうか。なんどもかいていますが、90年代以降の朝日新聞というのは、実は左翼でもなんでもないのです。

なんども書いていますが、社会保障というのは社会主義に通じるので社会保障を重視するのが左翼です。マイケル・ムーアの『シッコ』をもうわすれちゃったのか? ヒッピーというのも、私有物を最小限度にとどめるという、社会主義的な共同生活をしていましたが、そもそも社会保障というのは、私有物を減らすという「財産の共有化」に通じるのであり、そういう点からいっても社会保障というのはヒッピー文化に通じるのです。
こういうことがワケがわからない人間たちが大新聞の記事を書き、それに大衆が扇動されていくという日本の現状はなんとからなないんでしょうか。

あと、これも話がとびますが、以前「殺人も公害だ」という台詞のあるスペクトルマン宇宙猿人ゴリ)の話の話数を3話とかいてしまいましたが、4話のまちがいでした。おおもとの日記のほうは直してありますが、直す前のを読んで実際にスペクトルマンの3話をみて「そんな台詞ないじゃないか」とかおもった人がいらっしゃったらすいません。